目次へ
第一章 正しい洗礼第二章 洗足式第三章 聖霊のバプテスマ第四章 真の救い第五章 死者の救い第六章 真の神
第七章 神の御名について第八章 聖餐式第九章 安息日第十章 聖霊の働きと権威第十一章 神の教会第十二章 ヨハネの黙示録


聖霊の働き その6 聖霊の働き その7 聖霊の働き その8
聖霊の働き その9 聖霊の働き その10
聖霊の働き その6

(使徒行伝第6章1節)そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。(2節)そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。(3節)そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、(4節)わたしたちは、もっぱら祈りと御言のご用に当ることにしよう」。

(5節)この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、(6節)使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。


(7節)こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。

(注)(使徒行伝第6章7節)には、ユダヤ教の祭司たちも、この時から、イエス・キリストを信じ、福音の教えに従うようになり、信仰を受け入れたと書いてある。異言を語る者は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語るのである。それは、だれにもわからない、霊によって奥義を語っているからである。

(新約聖書ルカ伝第8章9節〜15節)「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されている。」

異言のお祈りを、徹底的に続ける事によって、異言のお祈りの中で平安が与えられ、希望が与えられ、力が与えられる。そして、新しい道が開かれるのである。
神も共に働き、多くのしるしと不思議が行われ、神の栄光を拝する事ができるのである。

すべての原動力は異言のお祈りにある。異言の祈りが中途半端になることは、神の国の奥義の世界から遠ざかり、聖霊の働きもなくなり、平安を失い、力もなくなる。
異言を語る事とは、神の国の奥義の中にいることである。

(8節)さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。(9節)すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、(10節)彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。

(注)ステパノは知恵と御霊で語っていたので、だれも、対抗できなかった。ユダヤ人たちは、ステパノを、いかにしても、罪に落とし入れようとした。
ユダヤ人は、人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」などと言わせた。その上、民衆や長老たちや立法学者たちを煽動(せんどう)して、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。それから偽りの証人たちを立てて、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、やめようとはしません。『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセが伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました。」と証言させたのである。
しかしながら、(15節)議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。と言った。

(注)ステパノは、臆する事無く、ユダヤ人達の悪だくみを徹底的に、論破したのである。イスラエルの議会に出席していた人たちは、ステパノに注目したが、彼の顔が天使の顔に見えたと証言した者もいた。彼は、聖霊に用いられて、最後まで勇敢に、イエス・キリストの証人として、諭証したのである。

(体験記:沖縄-2を参照)
聖霊の働き その7

(使徒行伝第7章1節)大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。(2節)そこで、ステパノが言った、
「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいた時、栄光の神が彼に現れて(3節)仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。


(4節)そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、(5節)そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。

(6節)神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。(7節)それからさらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。

(8節)そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。

(9節)族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、(10節)あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。そこで、パロは彼を宰相(さいしょう)の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当たらせた。

(11節)時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起こり、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。

(12節)ヤコブは、エジプトには食料があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、(13節)二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。(14節)ヨセフは使いをやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。(15節)こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、(16節)それから彼らはシケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。

(17節)神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。(18節)やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。(19節)この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。
(20節)モーセが生まれたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、(21節)そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。(22節)モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。

(23節)四十歳になった時、モ−セは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽くすことを、思い立った。

(24節)ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。
(25節)彼は自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。

(26節)翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互いに傷つけ合っているのか』。
(27節)すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。(28節)君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。
(29節)モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。

(30節)四十年たった時、シナイ山の荒野(あらの)において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。
(31節)彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞こえてきた、(32節)『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。
(33節)すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。(34節)わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう』。

(35節)こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥(はいせき)されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使いの手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。(36節)この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。

(37節)この人がイスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。

(38節)この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。

(39節)ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、(40節)『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。


(41節)そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。(42節)そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、

『イスラエルの家よ、
四十年のあいだ荒野にいた時に、
いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
(43節)あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。
それは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。
だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。

(注)(出エジプト紀第20章3節〜5節)に、あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
(4節)あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。(5節)それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
と、禁じられている。
偶像を造って、それを拝み、それに仕えて、神に対し、反逆の罪を犯した事を、聖書が証言しているのである。

(44節)わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。(45節)この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。

(46節)ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。(47節)けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。(48節)しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、

(49節)『主が仰せられる、
どんな家をわたしのために建てるのか。
わたしのいこいの場所は、どれか。

天はわたしの王座、
地はわたしの足台である。
(50節)これは皆わたしの手で造ったものではないか』。

(51節)ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。(52節)いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。(53節)あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。

(54節)人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
(55節)しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
(56節)そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

(注)(使徒行伝第7章1節〜54節)ステパノは、聖霊の力と知恵に満たされて、恐れることなく、命をかけて、イスラエルの罪を大胆に、論じた。

(57節)人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、(58節)彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち会った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
(59節)こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。(60節)そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。

(注)ステパノは、ユダヤ民族の歴史を、良かった時も、悪い時も、みごとに論証して、全イスラエルに反省と悔い改めを求めた。聖霊はステパノを、大いに用いて下さったのである。その為に彼はユダヤ人たちの、激しい怒りを引き起こし、町の郊外に引き出されて、石で撃ち殺されたのである。

(体験記:八重山-1を参照)
(体験記:宮古-1を参照)
聖霊の働き その8

(使徒行伝第8章1節)サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。
(2節)信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。
(3節)ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。

(4節)さて、散らされて行った人たちは、御言葉を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。

(5節)ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。(6節)群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。
(7節)汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。

(注)この時からサマリヤの異邦人達が、福音を信じて、イエス・キリストの御名によって、バプテスマ(正しい『洗礼』)を受けて、罪の赦しを受けた。洗礼を受けたあと、多くのしるしと、奇跡とが起こり、ピリポが、神の国とイエス・キリストの名について、宣べ伝えたことで、男も女も信じて、ぞくぞくと、バプテスマを受けた、と書いてある。
エルサレムの使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこに派遣した。
ふたりは、サマリヤに下って行って、みんなが、聖霊を受ける様に、彼らの為に祈った。聖霊はまだ、だれにも下っていなかった。そこで、ペテロとヨハネとが、彼らの上に手をおいたところ、彼らは聖霊を受けた。そこで、サマリヤの人たちも「水と霊」とによって、新しく生まれ変って、神の国に入る事ができたのである。

(8節)それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。

(9節)さて、この町に以前からシモンという人がいた。かれは魔術を行なってサマリヤの人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言いふらしていた。(10節)それで、小さい者から大きい者にいたるまで彼について行き、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。

(11節)彼らがこの人について行ったのは、ながい間その魔術に驚かされていたためであった。
(12節)ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
(13節)シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。

(14節)エルサレムにいる使徒達は、サマリヤの人々が、神の言を受けいれたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。 (15節)ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。

(16節)それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。(17節)そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。

(18節)シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金を差し出し、(19節)「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。
(20節)そこで、ペテロが彼に言った。「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。(21節)おまえの心が、神の前に正しくないから、おまえはとうてい、この事にあずかることができない。
(22節)だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。(23節)おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。


(24節)シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起こらないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。
(25節)使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。

(26節)しかし、主の使いがピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている。)。

(27節)そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官(かんがん)であるエチオ人が、礼拝のためエルサレムに上り、(28節)その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。

(29節)御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。(30節)そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。

(31節)彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るようにと、ピリポにすすめた。(32節)彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほうり場に引かれて行く羊のように、
また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
口を開かない。
(33節)彼は、いやしめられて、
そのさばきも行なわれなかった。
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
彼の命が地上から取り去られているからには」。
(34節)宦官(かんがん)はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか」。

(35節)そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えた。(36節)道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマをうけるのに、なんのさしつかえがありますか」。

〔(37節)これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてもさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。

(38節)そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。

(39節)ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。

(40節)その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。

(注)(使徒行伝第8章)のピリポの伝道を見ると、神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。と書いてある。同様に今でも、何処でも、「水と霊」によるバプテスマ、神の国と、イエス・キリストの御名について宣べ伝えると、信じる者は、新しく生まれ変り、病気は癒され、悩みや迷いも消えうせるのである。
使徒行伝に教えられた通りに、御言葉に従って、実行あるのみである。

(体験記:奄美-2を参照)
聖霊の働き その9

(使徒行伝第9章1節)さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、(2節)ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。

(3節)ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした。(4節)彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

(5節)そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と訪ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。(6節)さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。

(7節)サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞こえたが、だれも見えなかった。(8節)サウロは地から起き上がって目を開いたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。

(9節)彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。

(10節)さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とおよびになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。

(11節)そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。

(12節)彼はアナニヤと言う人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである。

(13節)アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。

(14節)そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。

(15節)しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たちに、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。(16節)わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

(17節)そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。

(18節)するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、(19節)また食事をとって元気を取りもどした。

(注)昇天された主イエスは、天から現れて、サウロの迫害を阻止された。サウロは、両目をつぶされて、何も見えず手探りして、他人の助けが必要であった。サウロは名も改めて、パウロとなり、主イエスは、迫害者パウロを悔い改めさせて、神の国の福音を宣べ伝えるキリストの使徒、とされたのである。使徒パウロは、聖書が証する通り、めざましい働きをして、神の国の奥義を啓示によって示されたと、証言している。

サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、(20節)ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。(21節)これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。

(22節)しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。

(23節)相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。(24節)ところがその陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。(25節)そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。

(26節)サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。(27節)ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を彼らに説明して聞かせた。

(28節)それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、(29節)ギリシャ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じあった。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。
(30節)兄弟たちはそれを知って、彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した。

(31節)こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。

(32節)ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。(33節)そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。(34節)ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちにおきあがった。 (35節)ルダとサロンに住む人たちは、それを見て、主に帰依(きえ)した。

(36節)ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)と言う女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。(37節)ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はその体を洗って、屋上の間に安置した。

(38節)ルダはヨッパに近かったので、弟子達はペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。
(39節)そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。(40節)ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向かって、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。

(注)ペテロの心は、お祈りによって、聖霊に満たされ、死者を生きかえらせる信仰が与えられていた。確信をもって、死者に対して、ごく自然に語りかけて、寝ている人を起こす様に、タビタよ、起きなさいと言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て、起きなおったという。
私もブラジルの奥地伝道の時、死者を生きかえらせた経験がある。また、死んで5時間もたっていた金魚も生きかえって泳ぎだした。死んだものを生きかえらせた時の、ペテロの心が良く理解できるのである。

(体験記:ブラジル-4を参照)

(41節)ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。
(42節)このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。
(43節)ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。

(所見)ぺテロは、いつも主イエスのそばにいて、直接教えを受けていた生き証人である。ペテロは、イエスの御名の力と恵みを確信していたのであった。
私の伝道体験でも同じことがあった。信じて疑わなければ、疑いも迷うこともなく、起こるべく事を確信できるのである。これは主イエスの教えでもある。
「水と霊」との救いには、死者を生きかえらせたり、癒しと、恵みとの力は、当たり前のように、実現するのである。

(使徒行伝第8章12節)ピリポが、神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。(13節)シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。
と書いてあるが、聖霊が働いている時はどこでも、同じ事がおこるのである。

(体験記:宮古-2を参照)
聖霊の働き その10

(使徒行伝第10章1節)さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長(ひゃくそくちょう)で、(2節)信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。

(3節)ある日の午後三時ごろ、神の使が彼のところにきて、「コルネリオよ」と呼ぶのを、幻ではっきり見た。(4節)彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって、「主よ、なんでございますか」と言った。すると御使が言った、「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。(5節)ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。(6節)この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている」。
(7節)このお告げをした御使が立ち去ったのち、コルネリオは、僕ふたりと、部下の中で信心深い兵卒ひとりとを呼び、(8節)いっさいの事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した


(9節)翌日、この三人が旅をつづけて町の近くにきたころ、ペテロは祈りをするため屋上にのぼった。時は昼の十二時ごろであった。(10節)彼は空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。

(11節)すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。(12節)その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。(13節)そして声が彼に聞こえてきた、「ペテロよ。立って、それをほふって食べなさい」。


(14節)ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。(15節)すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。

(注)神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない。それまでのユダヤ人たちは、ユダヤ人以外の人は、みんな、汚れた人達だと、教えられて来たので、そう信じていたペテロに対して、神は正しい事をお示しになった。人の思いと神の思いとは、天が地よりも高い様に、人間には、不可能であっても、神には不可能な事は何一つもない。と、聖書は教えているのである。

(16節)こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。

(17節)ペテロが、今見た幻はなんの事だろうかと、ひとり思案にくれていると、ちょうどその時、コルネリオから送られた人たちが、シモンの家を尋ね当てて、その門口(かどぐち)に立っていた。
(18節)そして声をかけて、「ペテロと呼ばれるシモンというかたが、こちらにお泊まりではございませんか」と尋ねた。(19節)ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言った、「ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきている。(20節)さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。

(21節)そこでペテロは、その人たちのところに降りて行って言った、「わたしがお尋ねのペテロです。どんなご用でおいでになったのですか」。
(22節)彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました」。(23節)そこで、ペテロは、彼らを迎えて泊まらせた。

翌日、ペテロは立って、彼らと連れだって出発した。ヨッパの兄弟たち数人も一緒に行った。
(24節)その次の日に、一行はカイザリヤに着いた。コルネリオは親族や親しい友人たちを呼び集めて、待っていた。
(25節)ペテロがいよいよ到着すると、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝した。(26節)するとペテロは、彼を引き起こして言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間です」。(27節)それから共に話しながら、へやにはいって行くと、そこには、すでに大ぜいの人が集まっていた。
(28節)ペテロは彼らに言った、「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。(29節)お招きにあずかった時、少しもためらわずに参ったのは、そのためなのです。
そこで伺いますが、どういうわけで、わたしを招いて下さったのですか」。

(30節)これに対してコルネリオが答えた、「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが自宅で午後三時の祈りしていますと、突然、輝いた衣を着た人が、前に立って申しました、(31節)『コルネリオよ、あなたの祈りは聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前におぼえられている。(32節)そこでヨッパに人を送ってペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は皮なめしシモンの海沿いの家に泊まっている』。(33節)それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。

(34節)そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、(35節)神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。(36節)あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。(37節)それはヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。

(38節)神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押さえつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。

(39節)わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。(40節)しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、(41節)全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。

(42節)それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、また証するようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。(43節)預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。

(44節)ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。
(45節)割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。(46節)それは、かれらが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである。そこで、ペテロが言い出した、(47節)「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」。
(48節)こう言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、なお数日のあいだ滞在してもらった。

(注)人の思いと、神の思いとでは、天が地より高いように、異なるとある。
割礼を受けていた信者で、ペテロと一緒にカイザリヤに来たユダヤ人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いたと言う。人間の常識と神の慈愛の違いを、見せられたのであった。神様の教えには、その時には、分からないこともあるが、後で悟らされることが多いのである。
ペテロは神が人々に聖霊を降された事を見て、何のためらいもなく、この人たちが、わたしたちと同じ様に、聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを受けるのを、だれが拒み得ようかと言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によって、罪の許しのバプテスマを授けた。と書いてある。

ペテロに示された幻は、コルネリオの普段の信仰と施しなど、神は良く見ておられたので、神を敬う人と、良き行いと、信仰に対して、その人の祈りを聞かれた神は、コルネリオと付き合い、関係のある多くの人々までも、救われたのである。
(使徒行伝第10章)読んで見て、自分の海外伝道にも、同じことが多々あった事を思い出す。招かれたり、尋ねてこられたり、そこから、新たな伝導の道が開かれて、多くの人々の救いが行なわれた事を思わされたのである。
福音に伴う、様々な奇跡としるしを見て、救われた兄弟姉妹方と共に喜びあい、主イエス様に感謝した事が昨日のように思わされた。

(体験記:八重山-2を参照)

第三回へ

9章へ   TOPへ   11章へ