| 奄美諸島体験記 (二) |
奄美諸島−1より
奄美諸島(与論島)の伝道主イエスの命に従って
先ず、奄美大島に渡り、沖永良部イエス之御霊教会の清村(きよむら)東風(こち)元(もと)先生を訪問して、主が命じられた与論島伝道の事を説明した。清村先生の勧めで、南西諸島イエス之御霊教会の渡福重牧師にも呼びかけて、奄美諸島の牧師達にも証してもらい、一緒に世論島に同行して貰った。
奄美諸島を巡航している照国丸に乗り、与論島に上陸した時は、夜半過ぎであった。旅館は何処もあかず、茶花の浜で朝まで休んで夜を明かした。それから旅館に入って旅装をといた。茶花の旅館を拠点にして、与論島の開拓伝道を進める事にしたのである。
話を聞くと、旅館の女主人は、私の親戚に当たる事が分った。旅館のおばさんも、親切に良く協力してくれました。
島にきた目的を話し、福音を語って聖霊を受ける様に勧めて、聖霊を受けたのである。この島は祖先崇拝に徹底していて、他の如何なる宗教も受け入れない事でも有名である。
まず、町役場に表敬訪問して挨拶した。集会は各部落の公民館等に集まってもらい、導かれるままに福音を語り、神がなされた様々な証をした。
与論島の人々は、熱心に質問をして、本当だ、そうだと言って、いつまでも帰ろうとはしなかったのである。
質問に対しては、聖霊が的確に答えられる事を実感したのである。
各所の伝道集会は、夜も遅くまで続いた。茶花の旅館に戻るのは、毎晩12時を過ぎていた。茶花の南側にある立長(りっちょう)の公民館では、世々の経綸を語り、天地の創造から新天地までの、神の歴史と経綸を説明した。初めてこの様な歴史の説明を聞いたと言って、世々の経綸の説明が終わると、立長の公民舘の集会では、多勢の人が信じたのである。
公民館の外でも、群衆が群がり、野次を飛ばす者もいたが、今、外で野次を飛ばしている様な者たちの為に、神は地獄を造られているのだ。と警告すると恐れたのか、それっきり野次は飛ばなくなって、音も立てずに皆会堂の中に入って来たのである。
集会に参加した人たちは、洗礼を受けたいと申し出たので、洗礼を受ける方は、着替えを準備して浜辺に集まるように言って、その夜は散会した。
また、相談の申し出もあった。
相談の内容は、高校を秀才で卒業した息子が、気が狂って大あばれして、手がつけられなくなったので、牛小屋を片付けて、監禁している。是非見て下さい、との相談を受けた。洗礼式の前に、牛小屋に監禁されている、息子に取り憑(つい)ているの悪霊を追い出し、そのまま、洗礼式に追い込んだ。長い間霊に憑かれていて人の言う事を聞かない、げらげら笑って、捕まえられない、どうしようも無い状態である。
洗礼式は立長の南側の浜で行われた。洗礼を受ける人々は30数名であった。
最後に、悪霊を追い出した兄弟の洗礼には、御霊の知恵と決断が必要であった。
まず、お祈りを済ませて、逃げ回って捕まらなかったこの兄弟を海の中に追い込んでおいて、イエス・キリストの御名によって、バプテスマを施すと宣言した。そして水の中に飛び込んで首を抱いて、一緒に海に潜(もぐ)って、バプテスマを授けたのである。洗礼も無事に終わり、洗足式の時も、着替えた服に水をかけられながら、洗足式を終えたのであった。
この兄弟を自分がするままに、自由にさせて置くように言っておいた。
その日に集まった全員に、「水と霊」とのバプテスマを授け、教会の設立宣言まで行なった。また、責任者を立てて、安息日の礼拝を守る様に教えて、日本聖書大学院を卒業した前田幸枝先生を、牧師として派遣したのである。
それから、私達は、イエス様が命じられた様に、関東大聖会に参加する為に上京したのである。
その後、南米伝道に行く為に、挨拶方々与論の教会を訪問した時、イエス様の聖画があまりに目が生きているので、この聖画はどこから持ってきたのか?、と尋ねたら、この兄弟が書いたのです。あれからすっかり元気になって、毎日の様にイエス様が現れて、書きなさいと言われたので書いたそうです。と言う証をしてくれた。
その後は私が南米伝道から、帰って来たら、今は神戸で食品会社を経営していると聞いて、尋ねたのですが、留守であうことは出来なかった。水と霊の救いに与って、完全に癒されて、頑張っている事を知って、主イエスの御名を崇めて感謝したのであった。ハレルヤ栄光主にあれ、アァメン。