八重山体験記
(二)


宮古島-1より
八重山に帰る

石垣行きの船に乗って、船が出港したあと、疲れもあって、ぐっすり寝てしまった。
目を覚ますと、「あなた、大丈夫ですか。大熱を出して大分苦しそうでしたよ。」と、声をかけられた。すぐ隣の人が洗面器に、水を入れて冷やしてくれていたそうですが、私はなにも覚えていなかった。

「ご心配をかけて、申し訳ありません、なにも、憶えておりません。」と答えると、「不思議な人ですね、あんなに大熱を出していたのに。」と不思議そうに私の顔をみつめていた。

八重山が近づいて来るにしたがって、野原や山が真っ赤に見えた。上陸して聞くと、日照りが続いた上に、火の様な風がふいてきて、牧場の草が枯れ、牛や、馬や、ヤギなどが、草を食べられなくなって、死んでいく程であったと言うのである。

消防車で水を運んで、木にかけているのだが、間に合わない状態である。
私が帰ったので、教会の信者達も集まってきて、神様にお祈りした。
神は祈りに応えて、その晩から雨を降らせてくださったのである。

サタンが私の肉体を打って、大熱を出し、石垣上陸を妨害した意味がわかった。
すべての森や、草などが、もと通りになるまでには、多少の時間がかかったのである。

しばらくして、豊川姉妹から、ある姉妹がしばらく教会を休んでいるので、訪問してみたら、病気をしていたので、わけを聞いてみると、親族会議で、あなたが祭祀の当番で巫女(みこ)に決まったといわれた。私は今、イエス・キリストを信じているから出来ません。と断ったのに、どうしても、あなたでないといけないと、押し付けられて終ったと言う。神様の罰があたったのですと嘆いていた。

豊川姉妹が、「今からでも遅くないから、先生を呼んで、お祈りしてもらいなさい。」と言うと、「先生はこんな私を許して下さらないでしょう。」と言うので、「そんな事ない、先生は喜んで来てくれますよ。」と言ったと言うのである。

早速訪問して見ると、全身がむくんでいて、寝たきりである。
この姉妹には、娘が一人いて、看護婦をしていると言う。これまでも、色々と、看病はしていたようであるが、病人は私が訪問すると、大変恐縮して涙を流して詫びていた。私は、オリーブ油を注いで、お祈りしようとしたら、神は洗足式をするように示された。洗面器に水を入れて、タオルを持って来てくれる様に娘に頼んだ。

寝かせたまま、祈りながら足を洗い、タオルで拭いてやると、全身のむくみが目の前で引いて即座に癒された。
看護婦の仕事をしている娘も、病気をしている母も、涙を流して喜び、主のご慈愛を感謝したのである。
その後姉妹は、毎日の様に、イエス様が現れて、イエス様と親しく交わり、最高の日々を送っていたと言うのである。

数日して、再び訪問すると、大変喜んで元気になったことを感謝していた。
イエス様が現れた証などして、感謝していた。
見舞から帰って、教会で机に向かっていると、この姉妹が喜びに満ち溢れて、天に昇って行く姿を見せられたのである。
神はこの姉妹が地上に居ると、再び偶像の巫女にされる事を、忍び難く思われ、全ての罪を許して、罪から開放されたのである。
この姉妹にとって、天に召されることが、"救い"であり、喜びに満たされた状態で輝かしい生涯を全うさせたのである。神様の御心に感謝したのであった。
神は許さなかった
八重山の地元新聞が、私の事を今はやりのユタ(霊媒者)ではないか、と批判し、有りもしない事を色々と書いていた。私は、何も知らない人々が、新聞を見てつまずいてはいけないと思い、神様にお祈りをしていると、急に聖霊が激しく怒り、神に訴えたのである。私は初めて聖霊が怒って神に訴える事を知ったのである。

私は、その新聞を持って新聞社に行き、編集長に会って、貴方はこの記事に責任を持つか、と正すと、何か間違っているんですか、と言うので、間違っているか、いないかも分らないで、新聞を編集しているのか、と言ったら、早速調べて訂正しますと言ったので、そうしないと貴方の為にならないよと言って、教会に帰ってきた。

その夜教会のおもだった信者たちを集めて、その次第を説明した。
「実は今日の新聞を見て、知らない人々が、つまずかないようにと思い、お祈りをしていると、急に聖霊が怒って、主に祷告(とうこく)したので、何事かが起ると思い、事が起らない前に、みんなに知らせておく。」と言ったのである。

次の日、八重山の郡の青年陸上競技大会があった。この編集長は、当時八重山郡の日本復帰会の会長をしていて、八重山郡民の前で日本復帰の挨拶をして、日本復帰万歳を三唱した直後に、その場で倒れたのである。その後二日だけ生きて、死んでしまったのである。信者達は、神の厳しさを思い知らされた事である。
竹富島への伝道出張
竹富島は石垣からは、連絡船で30分のところにあるが、安息日の礼拝に通って来る信者達もあった。
ある日、竹富島の姉妹の父親が、危篤状態であると言うので、お祈りに呼ばれて行った。この人は、島では三味線の師匠さんである。
行って見ると、重体の様である。旅に行った子供達も呼び寄せて、死に衣装も準備していたのである。
私は、耳元に近づいて、「この世にはキリストの神様が人の病気を治して、救って下さるが、あなたは信じますか」と聞くと、かるくうなずいたので、「ではお祈りします。」と言って、オリーブ油を注いで祈り、イエス・キリストの御名によって、「この病、癒されたり。」と言ってお祈りを終えた。

お茶が出されて、お茶を飲みながら病気の経過など、色々と話を聞いていたら、病人が起き上がり、だまって下駄をはいて、家の後にあるトイレにいって座って考えたと言う。トイレから戻って来て、「私は本当に治ったのか」と、にわかには信じられなかった様である。

「私は本当に治ったんですか」、と聞くので、「何故、貴方は今起き上がっているんですか」と言うと、「先生有難う御座います」と言った。
家族は感激して泣いて喜んだ。
「さあ洗礼を受けて、"全き救い"に与りましょう。みんな洗礼の準備をして、全身水の中に入るので、着替えと体を拭くタオルを持って来て下さい。」と言った。
その日は、宮古から連れて来た、大見謝呉服店のひとり息子、大見謝三朗君もそばに座っていた。
私は最初に、貴方には何も言わないから、一緒についてきて、自分の目で見て聞いて、悟りなさいと言っておいたのである。
最初はそばに座って、ニヤニヤ笑って居たが、病人が癒されて、元気になった事を見て、急にいなくなったので、何処に行ったのかと思っていたら、隣り近所の家々をまわって、「キリストの神様は本当に生きて居るよ、皆信じなさい」と言って歩いたそうである。

洗礼式は、西の浜で行う事にした。先ほど、病気が癒された三味線の師匠が、先頭に立って歩きだし、洗礼も一番に受けたのである。
その日は、奇跡の一日であった。その日洗礼を受けた人は、14,5人程であったか、人数については、さだかではない。

水と霊のバプテスマを受けて、全き救いにあずかった信者達は、毎週、船で安息日礼拝に通ってきた。
その後、癒された三味線の師匠が畑で枯れ草を集めて燃やしていると、ハブが手にかみついて、ぶら下がったので、火の中に振り落としたが、何の害も受けなかったと言うのである。
(マルコ伝第16章18節)蛇(へび)をつかむであろう。毒(どく)を飲んでも、決して害を受けないと書いてある。
再度竹富島へ
金城姉妹と登野城姉妹は、二人とも竹富出身であるが、石垣市に住んでいる。75歳になる母が危篤なので、竹富に行ってお祈りをしてほしいと頼まれたのである。この島の言い伝えで、人が死ぬのは、その人の誕生日に、必ず召されるという。その日に来てくれと、言われたのである。

竹富には、民主党の船と自由党の船が、競い合って島民を運んでいる。
私は、民主党の古い船に乗った。両方とも船は前後して、出港している。
姉妹達二人は、竹富の桟橋で、私の到着を待っていた。登野城姉妹は、私が自由党の新しい船に乗っていると言い、金城姉妹は、先生は民主党の古い船に乗っていると言って、負けた人が、先生のかばんを持つ、と言う賭けをしたと言うのである。

船は殆ど同時刻に出港するのであるが、当日は古い船が少し遅れて出港した。金城姉妹が言うには、古い船から御光が出ているから、先生は古い船に乗っていると言うのである。登野城姉妹は、先生は絶対新しい船だと言う。
古い船が竹富の桟橋に着くまで、その御光はきえなかったと言う。
軍配は金城姉妹に上がったのであった。

その日、船に乗っていた私は、不思議にも海が陸地に見えて、神は私に海に下りて歩く様に示された。私はその時一瞬、船の中にいる人々や、社会的反響を考えてしまった。その瞬間、神の導きは消えていた。
わが生涯で取り返しのつかない、大失敗であった。
自分の信仰の足りなかった事が悔やまれてならない。

船から降りると、姉妹達がまっていた。
かばんは、登野城姉妹が持ち、金城ヨシエ姉妹は、船が石垣桟橋を出てから、御光が出ていた事を歩きながら、証をしてくれたのであった。

病人の家では召された時の準備で、親戚が集って話し合っていた。
私は病人の方に行き、虫の息をしている母親を見て、お祈りした。その時、死に掛かっているお母さんが力一杯の声で、ああ来た来たと叫んで、息を引きとったのである。それから、なきがらを囲んで、生前のお母さんの、思い出話をしたりしていた。

亡くなったお母さんの周りには、信者である金城姉妹と登野城姉妹が見守っていた。一時間近くなった時、胸の上に手を組んでやった。
すると、お母さんの中指が、動いた。
金城姉妹が「お母さん」と言うと、「んー」と言って生き返ったのである。お母さんが生き返った、お母さんが生き返ったと言って、姉妹達が喜んで、先生が来て祈ってくれたから、奇跡が起ったのだと言って、感謝し、感謝のお祈りを主に捧げたのである。

姉妹達の兄さんに、いくら信仰を勧めても、心をかたくなにして、どうしても聞きいれなかったのであるが、生きかえったお母さんを見ていると、私に預言がきた。
一人息子が主に従って救われなければ、生きている間に財産を全部食いつぶして、お母さんは、私が旅に出たときに召される、と言った。
この預言は正に的中したのである。
(第12章聖霊の働きその6へ)
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