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第一章 正しい洗礼第二章 洗足式第三章 聖霊のバプテスマ第四章 真の救い第五章 死者の救い第六章 真の神
第七章 神の御名について第八章 聖餐式第九章 安息日第十章 聖霊の働きと権威第十一章 神の教会第十二章 ヨハネの黙示録

1  聖書が教える真の神の教会
聖書が教える真の神の教会

(マタイ伝第16章16節)シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。(17節)すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。(18節)そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。(19節)わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

(20節)そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
(21節)この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
(22節)すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。(23節)イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。(24節)それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

(マタイ伝第18章17節)もし彼らの言うことも聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。(18節)よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。(19節)また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。(20節)ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

(エペソ書第1章23節)この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

(エペソ書第5章23節)キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。(24節)そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
(25節)夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。(26節)キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、(27節)また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。

(28節)それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
(29節)自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。(30節)わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。(31節)「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである。」
(32節)この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。

(コリント前書第12章1節)兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。(2節)あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。(3節)そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

(4節)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。(5節)務めは種々あるが、主は同じである。(6節)働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。(7節)各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

(8節)すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言(ことば)、(9節)またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、(10節)またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
(11節)すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それら各自に分け与えられるのである。

(12節)からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。(13節)なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるように
バプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。

(14節)実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。(15節)もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。(16節)また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。(17節)もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。(18節)そこで神は御旨(みむね)のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。

(19節)もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。(20節)ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。(21節)目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。(22節)そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、(23節)からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。

麗(うるわ)しくない部分はいっそう麗しくするが、(24節)麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。(25節)それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互いにいたわり合うためなのである。
(26節)もし一つ肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。(27節)あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。

(28節)そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。


(29節)みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。(30節)みんながいやしの賜物(たまもの)を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。

(使徒行伝第20章26節)だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。(27節)神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。
(28節)どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。

(29節)わたしが去ったのち、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒らすようになることを、わたしは知っている。(30節)また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲がったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起こるであろう。(31節)だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。

(32節)今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる。御言(みことば)には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。(33節)わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。(34節)あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。(35節)わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。

(36節)こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。(37節)みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、(38節)もう二度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った。

(エペソ書第5章27節)また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。

(テサロニケ第一の第4章13節)兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。(14節)わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。(15節)わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨(らいりん)の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。

(16節)すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、(17節)それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。(18節)だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互(たがい)に慰(なぐさ)め合いなさい。

時の徴(しるし)

(ルカ伝第12章56節)偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。

われらもまた、今の時を知る事が最も大事なことである。
聖書は、異邦人の時と異邦人の数満(みつ)る時、および、ユダヤ人の運命と言う事が記されている。これらの事をわきまえないと、今の時代が何であるかがわからなくなるのである。

教会の歴史を見ると

救主イエス・キリストが来られて、神の国の真の福音を宣べ伝えた。
これに対してユダヤ人、律法学者、祭司長たちは、激しい反対と迫害をしたが、群衆は、主イエスを信じ、称賛を送ったのである。
また主イエスは、次の事を語られた。

(ヨハネ伝第20章21節)
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。(22節)そう言って、彼らにを吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれのでもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

と、救いの保証と、
罪を許す権威を与えて、聖霊を授けたのである。
主イエス・キリストの死と復活によって、「水と霊」とのバプテスマによって、新しく生まれた、キリストの花嫁なる教会が生まれたのである。
すでに起った事実は歴史が証明しています。
(注)詳しい史実は、正しい洗礼の後期に書いてあります。
(参考)第一章 正しい洗礼(教会史に見る洗礼の真偽)

(マタイ伝第24章3節〜14節)またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起こるのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終わりには、どんな前兆ありますか」。
(4節)そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。(5節)多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
(以下省略)
(12節)また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。(13節)しかし、最後まで耐え忍ぶものは救われる。(14節)そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

預言者ダニエル時代に

(ダニエル書第7章25節)彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、
かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。
彼はまた時と、律法とを変えようと望む。
聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、
彼の手にわたされる。

聖霊が降らなくなった。一世紀の使徒たちの初代教会時代が終る。一世紀の半ばから、霊媒者が現れ、トルテリアンが三名の神を見たと言って、二世紀まで、大運動を展開した。二世紀になると、ダニエルの預言通り、ローマ法王コンスタンチンが、神に敵して、言葉を出し、神は唯一であるのに、三位一体の教理を採用した。
下記の、黙示録はもっと、詳しく預言されている。

(ヨハネの黙示録第11章1節〜10節)それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。(2節)聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。(3節)そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。

旧約聖書では一日を一年と数えるとある。(四十二か月を1日30日で計算すると、)
千二百六十日に当たる。千二百六十年間は、カトリックだけの時代となった。全世界に、布教活動する事が許された時代である。

(ヨハネの黙示録第2章14節)しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。(15節)同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる

(16節)だから、悔い改めなさい。そうしないとわたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。(17節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。

同じ、(ヨハネの黙示録第2章20節〜23節)しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。
(注)ここで言う女は、すべて、教会の型である。
この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。(21節)わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
(22節)見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫(かんいん)する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな艱難(かんなん)の中に投げ入れる。(23節)また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。

(24節)また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教えを受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。(25節)ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。
(26節)勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。(27節)彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。

(28節)わたしはまた、彼に明けの明星(みょうじょう)を与える。(29節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

(ヨハネの黙示録第19章1節)この後、わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、

「ハレルヤ、救いと栄光と力とは、
われらの神のものであり、
(2節)そのさばきは、真実で正しい。
神は、姦淫(かんいん)で地を汚した大淫婦(だいいんぷ)をさばき、
神の僕たちの血の報復を
彼女になさったからである」。

(3節)再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。

(注)
この大淫婦は教会の事です。
三日半は、カトリックから出たマルチンルーテルがプロテスタントを、開拓した時代である。
その後、
(ヨハネの黙示録第11章11節〜13節)三日半の後、いのちのが、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。(12節)その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。

(引用)
(ヨハネ伝第20章21節)イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。(22節)そう言って、彼らにを吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよう。(23節)あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

花嫁なる教会が天に引き上げられる

この事は(新約聖書のテサロニケ前書第4章17節)にも、書いている。
(17節)それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。(18節)だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。
(注)「水と霊」との救いを受けた、聖徒たち、主の花嫁なる教会は、天に引き上げられる。
(ヨハネの黙示録第11章13節)この時、大地震が起こって、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。

教会の奥義

(ヨハネの黙示録第1章1節)イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕(しもべ)ヨハネに伝えられたものである。(2節)ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。(3節)この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

(4節)ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。
今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、(5節)また、忠実な証人、死人の中から最初に生まれた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、(6節)わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

(7節)見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

(8節)
今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

(9節)あなた方の兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言(ことば)とイエスのあかしとのゆえに、
パトモスという島にいた
(10節)ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、
ラッパのような大きな声がするのを聞いた。(11節)その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラレルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。

(12節)そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台(しょくだい)が目についた。(13節)それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。
(14節)そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真っ白であり、目は燃える炎のようであった。(15節)その足は、炉で精錬(せいれん)されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。(16節)その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

(17節)わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「
恐れるな。わたしは初めであり、終わりであり、(18節)また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉(よみ)とのかぎを持っている。(19節)そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。(20節)あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

(注)星は教会の御使、金の燭台は教会である。

(ヨハネの黙示録第2章1節)エペソにある教会の御使(みつかい)に、こう書きおくりなさい。
『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。

(2節)わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。(3節)あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。

(4節)しかし、あなたに対して責むべきことがある。
あなたは初めの愛から離れてしまった。(5節)そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所からとりのけよう。
(6節)しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
(7節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。

(8節)スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『初めであり、終わりである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。(9節)わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。

(10節)あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠をあたえよう。(11節)
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。

(12節)ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい

『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。
(13節)わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。

(14節)しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教えを奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものをたべさせ、また不品行をさせたのである。

(15節)同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。(16節)だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。

(17節)耳のある者は、御霊が諸教会に言う事を聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。

(18節)テアテラに在る教会の御使にこう書き送りなさい。

『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。
(19節)わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを信じている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。
(20節)しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。

(21節)わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。(22節)見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫(かんいん)する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな艱難(かんなん)の中に投げ入れる。

(23節)また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
(24節)また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教えを受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。

(25節)ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。(26節)勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。(27節)彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。(28節)わたしはまた、彼に明けの明星を与えよう。
(29節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

(ヨハネの黙示録第3章1節)
サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。
わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。(2節)目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。

(3節)だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起こして、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人(ぬすびと)のように来るであろう。
どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
(4節)しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、私と共に歩み続けるであろう。かれらは、それにふさわしい者である。

(5節)勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
(6節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

(7節)ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開(ひら)けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開(ひら)かれることのない者が、次のように言われる。
(8節)わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否(いな)まなかったからである。

(9節)見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実(じつ)ユダヤ人でなくて、偽(いつわ)る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
(10節)忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。

(11節)わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。(12節)勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
(13節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

(14節)ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
(15節)わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。(16節)このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
(17節)あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。

(18節)そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬(せいれん)された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。

(19節)すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
(20節)見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。(21節)勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
(22節)耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

(ヨハネの黙示録第1章5節)地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

(ヨハネの黙示録第1章8節)今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

(9節)あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

(10節)ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。(11節)その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。

神の教会には、七つの星と、七人の御使が遣わされており、アジヤにあった七つの教会の奥義とは、七つの燈台と、星のことであった。

(ヨハネの黙示録第22章18節〜20節)の警告を、再度引用する。
(18節)この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

(19節)また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

(20節)これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。

天地の造り主であり、人類の産みの親である全知、全能なる神が、人類の最後の大審判を預言され、警告された。
主イエス・キリストの黙示、神の言葉と、イエスのあかしのゆえに、パトモスという無人島に島流しされていたヨハネに対して、お前が見た事、聞いた事を、書きものにして、アジヤにある七つの教会に、送りなさいと、イエスは、使いをつかわして、諸教会のために、これらのことをあかしした。

(ヨハネの黙示録第22章12節)「見よ、わたしは直ぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。(13節)わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり終わりである。
  ≪中略≫
(20節)これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。
(21節)主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。

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