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第一章 正しい洗礼第二章 洗足式第三章 聖霊のバプテスマ第四章 真の救い第五章 死者の救い第六章 真の神
第七章 神の御名について第八章 聖餐式第九章 安息日第十章 聖霊の働きと権威第十一章 神の教会第十二章 ヨハネの黙示録

第九章 安息日

1  日曜日は安息日ではない 2  日曜安息日の由来 3  安息日の由来とその意義
4  戎(かい)命(めい)としての安息日 5  新約の民として


聖日は、神の定めた土曜安息日である事


1  日曜日は安息日ではない

世界の殆どの教会は、日曜日を安息日として守り、神を礼拝しているが、日曜日は安息日ではないのである。
(1)日曜日は、一週の初めである。

(2)イエス・キリストが甦った日である。

(3)主の弟子達に、初めて聖霊降臨があった日である。
日曜日は、1週の初めであり、終りではない。この事実は聖書が証言しているのである。四福音書のどの章を見ても、主イエスは、安息日の準備の日、すなわち、安息日の前日、十字架に架けられて死に、墓に葬られたのだ。
主の弟子達は、安息日が終って、
(マタイ伝第28章1節)週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見に行ったのである。

(ルカ伝第24章1節)
週の初めの日、夜明け前に、女達は用意しておいた香料を携えて、墓に行った。(2節)ところが、石が墓からころがしてあるので、(3節)中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。(4節)そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着た二人の者が、彼らに現れた。
(5節)女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、この二人の者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。(6節)そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。(7節)すなわち、人の子は必ず罪人(つみびと)らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。(8節)そこで女達はその言葉を思い出し、(9節)墓から帰って、これら一切のことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。

(マルコ伝第15章42節)さて、すでに夕がたになったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので
(マルコ伝第16章1節)さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。(2節)そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。
(ヨハネ伝第20章1節)さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

これを見ても、日曜日が安息日でない事は明白である。
2  日曜安息日の由来
(1)  現代教会の弁明
現代の教会は、キリストの復活日を記念するために、安息日を日曜日に変更したと弁解している。しかしこれは、安息日を変更した後に考え出した言い訳(いいわけ)に過ぎない。聖書の何処にもその根拠は存在しないからである。
(2)  その誤解(ごかい)
然し、現代の教会は、(使徒行伝第20章7節)週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。
との御言(みことば)をもって、安息日は、使徒時代に於いて既に日曜日に変更されていたと強調するのである。しかし、注意深く読んで見ると、実は、日曜日の朝、パウロ達が出立している事がわかる。

ユダヤの一日の数え方は、その日の日没(夕暮れ)から次の日の日没までを一日とした。それ故に、パウロ達は安息日を守って、その夕方、即ち一週の初めに集まって来て、パンをさきつつ懇談会または送別会をして、夜半まで語り続けて夜明けに出発したのである。その夜明けと言うのが、我等の言う今の日曜日の朝、伝道旅行へと出発したのである。
(3)  日曜日への変更
初代の教会は、安息日を守っていたのにいつ頃、安息日が、日曜日に変更されたのか。
(イ) 聖書は、既に、そう言う事が起こる事を予言している。

悪王が出て、安息日を変更し、教会は荒されると、次のように予言している。

(ダニエル書第7章25節)彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
この予言は、ロマ帝国のコンスタンチ大帝であって、彼は紀元321年に安息日を取り消して、日曜休業令を発布した。
日曜安息日と言うのは、カトリック教会(旧教)の名の下に、安息日は廃止されて、日曜日を礼拝日として現在に至ったのである。
(4)  主は汚される
そして、教会はどうであるかと言うと、その予言の如く、安息日が犯されてから、聖霊は教会を離れ、教会はますます堕落(だらく)の一路を辿(たど)り、現在の状態となったのである。
のみならず神の側からは、神が定めた安息日を廃して、イタリアの拝日教の祭日である日曜日を安息日とした為に、エゼキエルはこの事を予言して言った。
(エゼキエル書第8章16節)主の宮の入り口に、廊(ろう)と祭壇(さいだん)との間に二十五人ばかりの人が、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。
と主は言われる。その祭司達はわたしの律法を犯し、聖なるものを汚した。

彼らは聖なる物と汚れた者との区別が付かず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。と世界のキリスト教会は、旧教も、新教も、神が与えられた安息日を捨てて、偶像教徒と共にその太陽神の祭日である日曜日を安息日とし、また、聖日として真の神を礼拝するのは、全く神への冒涜(ぼうとく)であると悟(さと)るべきである。
3  安息日の由来とその意義
安息日の事は、
(創世記第2章2節)
神は第七日にその作業を終えられた。即ち、そのすべての作業を終わって第七日に休まれた。(3節)神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。


これによって見ると安息日は一週の終りの日、即ち土曜安息日である事に間違いなく、神はこの日を聖(きよき)日として聖別し、また、祝福されたのである。
この日は真に天地創造完成の記念日であり、また祝いであり、又、聖き恩恵(めぐみ)の日であったのである。
(1)  徴(しるし)として
徴とは何か。
(エゼキエル書第20章12節)
を見ると、
わたしはまた彼らに安息日を与えて、私と彼らとの間の徴とした。これは、主なる私が彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。
とあり、神はこの聖別(せいべつ)された安息日を、その子達に、徴として与えられた。
それはこの日を守ることによって、同じ様に、神に聖別されたものであることを知らしめる為である。更にこの安息日は、信者が神との関係を結ぶ聖(きよき)日であって、この日に信者は聖別されて祝福が与たえられるのである。
このように考える時に、如何に安息日が信者の生活に密切な関係があるかを教えられるのである。
(2)  産業の祝福と生活の保証
この事は、(イザヤ書第58章13節)以下のように約束されている。
もし安息日にあなたの足をとどめ、我が聖日(せいじつ)にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、(14節)その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業(しぎょう)をもって、あなたを養う。
4  戎命(かいめい)としての安息日
然るに、神の子達は、この幸いなる安息日を守らないで、神はシナイ山において、十戎を与えられた時、この安息日を十戎の第4條に加えて、永久不変のものとされたのである。
(マタイ伝第5章17節)
わたしが律法や預言者を廃する為に来た、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。(18節)よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全(まっと)うされるのである。

(ロマ書第3章31節)
すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

これが十戎に入れられることによって、われらは、安息日に対する真理を知ったのである。

それは
(出エジプト記第20章8節)安息日を覚えて、これを聖とせよ。(9節)6日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。(10節)7日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。
と記されてある。

(8節)
安息日を覚えて、これを聖とせよ。
これは第一の本文である。
第二の本文は
(9節)6日の間働いてあなたのすべてのわざをせよ。とあり、(10節)7日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざもしてはならない。と業を休んで、これを守るべきである。
5  新約の民として
新約の時代は、これ恵みの時、救いの日であるから、「水と霊」のバプテスマを受けて全き救いに与かった者は、(ロマ書第6章14節)律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。
(ロマ第7章6節)
しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。
(ガラテヤ書第6章18節)
兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アァメン。


故に、外部には神の保護があり、内には聖霊の喜びがあり、平安があり、毎日が安息である。これは、正しく罪のないエデンの園への復帰である。しかし、エデンの園に安息日のあった事を忘れてはならない。アダムは、神の御保護の下に、何らの恐怖もなく、安閑として安息日の幸いを受けた。これが律法の安息日ではなく、恵みの安息日である。この恵みの安息日こそは、この新約の時代に於ける、真の教会のみが与えられるものである。

私たちは毎日集会を持って祝福される。故に、安息日を不必要と言うのではなく、更に、安息日は、ただ、神の定められた一週の終りの日であることを覚えてこれを記念し、
(マルコ伝第2章27節)また、彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。(28節)それだから、人の子は、安息日にもまた、主なのである」。

わたしたち、主に属する者は、安息日を潔(きよ)く守り、この日に主を礼拝して、祝福される事が大切である。
(マタイ伝第28章20節)あなたがたに命じておいた一切のことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
アーメン、栄光主にあれ。

安息日の祝福と戒目の体験

与那国教会での体験であるが、後に牧師となった蔵元兄弟は、田や畑の資産を多く所有しており、安息日に、何もしないでいるのも退屈でもったいない、少し位は神様も許して下さるだろうと、田んぼの畦(あぜ)に座って、竹のさおで稲の葉についている虫をはらって落としていた。すると、急に腕が痛くなって動かなくなり、これは神様の罰であると悟って、腕の痛さに耐えながら、「神様わるを御座います」、と言いながら家に帰って、神様にお詫びのお祈りをすると直ぐに痛みが無くなり、それからは、安息日を守ってきた、という証をされたのである。

また、ブラジルのサンパウロ奥地のプレシデント・プルデンテ市での証である。
神谷繁平とい兄弟は、家族信者で、妻子を安息日礼拝に行かせて、自分は畑の仕事をしていた。ブラジルでは、トマトの値段が高いので、安息日にも、頑張って一生懸命、トマトを育てていたのである。安息日にやった所は、天から雹(ひょう)が降って全滅した。働いても何も収穫が、得られないなら、教会に出席して、恵まれたほうが良いと、安息日を守る様になったのである。
その他にも多くの証があるのである。

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