| 奄美諸島体験記 (一) |
鹿児島港から照国丸に乗船して奄美大島の沖永良部に上陸した。
沖永良部では、沖永良イエス之御霊教会の清村東風元先生の出迎えを受けた。
清村先生は活動的な伝道者で、何処までも歩いて伝道しておられた。
奄美諸島の牧師達の参加を得て、3日間南西諸島大聖会を行った。
一回目の聖会が終わり、「お祈りして貰いたい人は、前に出て下さい。」と言うと、40名程の兄弟姉妹達が、神癒祈祷を求めて、講壇(こうだん)の前に出てこられた。
「皆さんは病気治りたいですか?」と聞くと皆黙って講壇を見つめていた、「誰も治りたくないですか?治りたい人は手を挙げて下さい。」と言うと全員の手が上がったのである。「みんな治りたいですか、それでは、癒される様に心を合わせて祈りましょう」と言って、異言で祈った。
そして、講壇に立ったままで、「イエス・キリストの御名によって、このもろもろの病患(やまいわずら)い、癒されたり」と言うと、全員が即座に癒されたのである。
兄弟姉妹達は皆な、顔を見合って、「治った、癒された」と言って、喜びに満たされたのである。そして、イエス様の御名を崇めて、感謝したのである。
後で聞くと、その中には、歯が痛い人、足の関節炎や、リュウマチ、頭痛や、胸の病、腰が痛い人、その他、様々であった。
聖会二日目の朝、洗面して会堂に戻ると、女性達が結核を患っている姉妹をかこんで、慰めたり、励ましたりしていた。
どうしましたか?と聞くと、泣きながら、「死にたいです」と言うのである。この姉妹は、結核の為に畑に小屋を作って、隔離されていたのであるが、聖会に来て恵まれたら癒されるかも知れないと、清村先生が、滋愛をもって聖会に連れて来たのであった。
この姉妹は、夜通し苦しんで、一睡も出来なかったと言うので、清村先生が、オリーブ油を持ってきて、「西脇先生、神癒祈祷をお願いします。」と頼まれたので、オリーブ油を注いで祈って、「イエス・キリストの御名によって、この病癒されたり」と言った。すると、正座したまま、何度も、何度も、飛び上って、「癒された、癒された」と言って、喜んだのである。先生達もみんなが、奇跡だ、奇跡だと言って、イエス様の御名を崇めて感謝したのであった。
南西諸島イエス之御霊教会の渡福重先生が、「使徒行伝のようですね」と言われた、「様ではありません。今が使徒時代ですよ」と言った。
沖永良部では、各部落ごとに伝道集会を行なったが、全会衆が聖霊を受けて、癒しの御業が多く行なわれた。
三日間の大聖会は、恵まれ、祝福され、喜びに満ち溢れた聖会であった。
多くの人が救われて、聖書の御言葉通りの大聖会であった。
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」(コリント後書第6章2節)また、「御霊は一つ、主は一つ、信仰は一つ」である。(エペソ書第4章4節〜5節)が、立証された大聖会であった。
徳之島伝道体験記照国丸は徳之島の港に、イカリを下ろして停泊した。
徳之島では、聖霊がこのように働いた。源(みなもと)利(としぞう)三先生達が出迎えていた。
徳之島には迫害があり、伝道もやりにくいと言う話であった。
私達は源(みなもと)先生の案内で、聖霊を受けている榊原(さかきばら)兄弟の家を訪ねた。訪問の理由は、妹の栄子さん18歳が、結核で血を吐いていると聞いたからである。
榊原兄弟の家に着いて、出されたお茶を飲みながら雑談をしていた。すると、舘村(たてむら)先生がこられた。
私は初対面であったが、舘(たて)村(むら)先生はカトリック教会の熱心な信者であると言う。源先生は、舘村先生の教え子であるが、教え子達を迫害していたと言うのである。
今日は何を言いに来たのかと思っていたら、意外に悩みを言いに来たのである。
先生の告白を聞くと、悩みと言うのは、自分は、イエス・キリストを信じて、天国に行けるが、何も知らずに死んだ先祖が地獄に落ちるのなら、自分も一緒に地獄に落ちても良いと思って、その為に悩んでいたと言うのである。
この先生は、戦前戦後、教職者として、校長まで勤めたと言う地元の著名な紳士であるが、今は定年退職して、農業をしながら鶏を飼って、鐘を叩いて鶏を集めて、エサをやるのが楽しみだと言う。今は鶏(にわとり)の学校の校長先生であると、と言って笑っておられた。
私が死者の救いについて証をしていると、そこに隣の人が訪ねてきて、実は弟が難病を患(わずら)っているのでお願いがあって、来たのですが、聞いて下さいますか?、弟は11歳の時に、小児(しょうに)麻(ま)痺(ひ)になり、耳も聞こえず、目も見えなくなり、
それに、口も利けなくなって、流動物を、口から流し込んで、生かしているのです。こんな者でも、救われるんですか?と言うのである。
イエス・キリストは、どんな者、こんな者とは、言っていない。信じる者は、どんな人でも救って下さる。と言うと、帰って行ったが、間もなくして、弟をおぶってもどって来たのである。
門から入って来る弟を見ると、私は病人に悪霊が憑(つ)いている事を聖霊に感じた。
負ぶって来た弟を、畳の上に座らせた、弟の目は、時計のふりこの様に左右に動いて、止まらないのである。
目も見えず、耳も聞こえず、口も利けない、首から上は、完全に悪霊に支配されていたのである。
弟に憑(つ)いている悪霊を追い出すと、すぐ聖霊が下り、目もぴたりと止まり、異言を語り出し、口も利ける様になった。首から上は、完全に癒されたのである。
神が聖霊を与えられたのだから、早速、洗礼を受ける様に勧めた。
着替えを準備して来るようにと言うと、すぐに着替えを持って来た。洗礼を受ける場所に、弟をおぶって、癒された栄子さんも、一緒に、山坂をのぼり、谷を下ると、きれいな小川が流れていた。洗礼式を施すのに丁度良い場所である。
弟の足は、骨に皮がついている様な感じで、下半身は冷たくなって死んでいる状態である。この弟は川底にペタッと座ったまま、洗礼を受けた。
私は祈って、「イエス・キリストの御名によって、バプテスマを施した。」バプテスマを授けた、とたんに、弟が立ち上がったのである、そして私が祝福を祈って、川岸に抱えて行こうとしたら、何と自分の足で歩いて川岸まで歩いて行ったのである。
死んでいる状態のその足で立ち上り、そして、歩いて行ったのである。
私はイエス様が、だんだんに癒して下さる様にとお祈りしたのに、主は、私の願いにも、期待にも優って、奇跡を起こして下さったのである。先生達も、奇跡だ、奇跡だと言って、主の栄光を拝して感謝したのであった。
栄子姉妹も癒されて、その後献身して、神学校に入学し、卒業後は吉田武久牧師と結婚して子供も与えられて、徳之島の伊仙町で教会を持ち、伝道に従事しているのである。
『人の思いと、神の思いとは、天が地よりも高い様に異なる』と書いてある聖書が成就したのである。ハレルヤ栄光主にあれ。
神の御業を拝した舘村先生も、これまでの迫害を悔い改めて、聖霊を受けたのである。
舘村先生は、鹿浦の我が家に帰り、部落の人々を集めるから、是非伝道集会をしてほしいと頼まれたので、先生のお言葉に従った。
鹿浦でも奇跡が起った舘村先生は先に帰って、私達を待って居られた。
舘村先生の家で、部落の人々を家一杯に集めて、伝道集会をしたところ、福音を聞いて、信じた人々は皆、聖霊を受けたのである。
その時、直ぐ隣の家に、高等学校を秀才で卒業したというお嬢さんがいたが、訳の分らない病気になって、意識もなく全身冷たくなって、手足をひきつけたまま曲がって、人の力では伸ばすことが出来ず、口から流動物を流しこんで、生かしていたと言う。
早速お祈りを頼まれて、行って見ると、悪霊にとりつかれている事が分った。
目も開けず、意識もなく、何も聞くことが出来ない。ただ息をして、眠っている状態である。
私は悪霊を追い出し、オリーブ油を注いで祈って、「イエス・キリストの御名によって、この病、癒されたり。」と言うと、手と足がパチパチと音を立てて、伸びてきたのである。
お母さんと兄さんが、泣いて喜んだ。また、本人は眠りから覚めた様に、その間の事は何も覚えていなかった。早速洗礼を受ける様に勧めたのである。
家の直ぐ隣に50メートル位のV型の谷底に、川が流れていた。川の深さも洗礼を行なうのに丁度良い川であり、そこで洗礼式を行う事にした。
聖霊を受けた人は、全員洗礼を受けた。
長い眠りから癒された娘も、兄さんがおぶって谷底まで下り、皆んなと一緒に洗礼を受けたが、自分の足で坂道を登って帰って行った、この部落でもまた、神がなされた御業には驚かされたのであった。主イエス・キリストの不思議な御名を崇めて、心一杯感謝したのである。
鹿浦は湾になっているので、時々定期船が沖に停泊して、ハシケでお客さんやや荷物を、運んでいる所であった。洗礼式のときは、町中の人が見る中で、洗礼式が行なわれた事は大きな証になった。その後は源牧師と、主の恵みに委ねたのである。
また、教会のある糸木名部落での洗礼式の時、バプテスマを授けている傍(そば)で、先生達は色々と話をしていた。神の前に不敬虔であったのか、悪魔が来て、げらげら笑いながら、洗礼式を妨害しようとしていたのである。私は悪魔と戦いながら、洗礼を授けたのであった。
洗礼式を終えて、先生達に悪魔サタンとの戦いを話したが。先生達が洗礼式中にお祈りをしなかった事で、悪魔に隙(すき)を与えた為に、悪魔サタンが洗礼式に割り込んで妨害し、サタンが挑戦してきたのであった。
それほど洗礼式の時は、神の前に厳粛な行事である事を、徳の島伝道で教えられたのであった。
名瀬市での伝道名瀬市には、南西諸島イエス之御霊教会の渡福重牧師の姪がいた。私が以前洗礼を施した、田中姉妹親子が住んでいる。家族はみんな聖霊を受けていた。
時々、叔父さんの渡牧師が来て、家庭集会が行なわれていたのである。
田中姉妹家族は叔父の渡牧師から、聖霊に対する教えを受けていたが、他教会の信者達から迫害されていたと言う。その時、当時4歳になる末子のヨシエちゃんが聖霊に満たされて、ヨハネの黙示録の御言葉を語って、迫害者達を撃退したと言うのである。
迫害者達は、幼子の口から出る黙示録の御言葉に恐れを感じて、逃げ帰ったと言うのである。
ヨシエちゃんが聖霊に用いられて、迫害者達を激退して、お母さんを守ったのであった。
ヨシエちゃんは、毎日の様にイエス様と会話をして遊んでいたと言う。
或る時、ヨシエちゃんが、預言をした。「家が燃える、家が燃える、ヨシエちゃんの家は、燃えないよ」と、言っていた。まもなく名瀬市の大火事が起り、名瀬の大火は、街の大半を焼きつくしたが、ヨシエちゃんの家は、守られて焼けなかったというのである。
大火は隣りの家まで焼き尽くしたが、ヨシエちゃんの家の上をこえて、また隣りの家から燃え広がって行ったと言う。ヨシエちゃんの預言通りヨシエちゃんの家は守られて、焼け残ったと言う証である。
名瀬市にはカトリック教会と、ホーリネス教会があった。
以前、私はホーリネス教会に招かれて、特別伝道集会を行なった。その時集まった人々は40名余であった。私は、水と霊の救いを語り、聖霊を受けるように勧め全員が聖霊を受けた。その中には与論の町長さんもおられた。
聖霊を受けると必ず、異言を語らされるのであるが、(マタイ伝第12章31節〜32節)には、聖霊に関する御言葉が記されている。聖霊を汚(けが)す言葉は、ゆるされることはない。また、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはないとある。それ程に聖霊に対する尊厳は絶対的なものである。
新約聖書の使徒行伝を読むと、『水と霊』による救い『洗礼式』(バプテスマ)は、誰でも、何処でも、イエス・キリストの御名によって、実行されなければならない事が教えられている。
名瀬市にある、或る教会の牧師は、聖霊を受けて『異言』を語たらされる事を疑って、神からサタンの手に渡されて、狂ってしまったと言う。
雨も降らないのに、雨傘を差し雨靴をはいて、熱い、熱いと言って、訳の分らない事を言いながら、一人で洗礼を受けなおすと言って、海に入り、そのまま死んでしまったと言うのである。
その事を目撃した人々は皆な神を恐れ、『異言』に対する聖書の教えの厳粛なことを教えられたのであった。
また名瀬イエス之御霊教会の信者さんで、お母さんの頭がひどく痛み、どうしても治らず、何日も続くので、私に神癒祈祷を頼んで来た。
一諸に出かけて行って話を聞くと、2、3日前から頭痛がひどく、どうしても治らないと言うのである。
私は聖書の言葉に従って、病人にオリーブ油を注ぎ、頭に手を置いて、イエス・キリストの御名によってこの病癒されたりと言った。すると、あんなに痛かった頭が即座に癒されたのである。
癒された本人は、頭痛が即座になくなったので、本当に癒されたのかと私に確認するので、本当に治ったんですと言うと、涙を流して何度も何度も有難うございますと言って、感謝したのである。
また、当時4歳になった、ヨシエちゃんは、何も連絡していないのに、西脇先生が来る、西脇先生が来る、と言っていると、必ず私が訪問して来たと言うのである。
私は南米伝道に行く前に、名瀬イエス之御霊教会に挨拶の為に訪問をした。
田中姉妹親子は貧しい中から、買い物のつり銭100円玉をたくさん貯めていて、西脇先生に感謝の献金をすると言って、何年も、何ヶ月もかけてためたと言うのである。目を見張る程、抱えきれないほど、100円玉を沢山貯めていて、私を感激させた。
ヨシエちゃんは、大人となりその後は、日本聖書大学院に入学して、卒業後は、奄美大島で牧会伝道をしている、供利良克牧師と結婚して、渡福重牧師亡き後、南西諸島イエス之御霊教会を引き継ぎ、また、瀬戸内イエス之御霊教会、笠利イエス之御霊教会を兼牧して、福音伝道に従事していると聞いている。