与那国体験記
(一)

沖縄-4より
郷里の与那国に、「真の福音」を伝えることが許された。
神のお許しが無ければ、また、導きがなければ、行くことも、宣べ伝えることも出来ないのである。
すべてに時あり、真の福音をかたるとき、主もまたともに働き、この福音が確かなものである事を立証して下さるから、しるし、不思議が起るのである。

郷里の土を踏むのは何年ぶりだろうか。同じ久部良の出身で、八重山高校在学中に『水と霊』のバプテスマを受けて救われた、松川マサエ姉妹も夏休みで、与那国に帰える船で一緒だった。

本船の母港は与那国の祖納港である。本船は無事に母港に着いた。
私達は船を下りて、それから約8キロも夜道を歩いて、実家のある久部良部落に着いたのである。まず、松川姉妹を自宅まで送り届けてから、私は叔父の家を訪ねた。叔父は私の声を聞いて、直ぐに起きて来た。

私は、叔父の了解を得て、与那国伝道の拠点を叔父の家に置くことにした。
叔父は八重山伝道の評判を既に聞いていたようであった。私が突然帰ってきたので、叔父の家族もみな起きてきて再会を喜び合った。暫くして母も呼んできて、一別以来の再会を喜び、イエス様に感謝したのである。
与那国に真の福音を伝える
主イエスの命によって、神の国の福音を伝え、聖霊の革命を行い、この評判は与那国にも伝わり、神は日本列島最西端の島、絶海の孤島にも、「真の福音」を伝える事を許されたのである。
聖書には、だれでも、『水と霊』から生まれなければ、神の国に入る事はできない。(ヨハネ伝第3章5節)と記されている。

この島の人々は、聖書も、イエス・キリストの御名も、初めて聞く者がほとんどである。私は、親戚や知人を集めて、主イエス・キリストを信じることが真の信仰であり、救いである事をかたり、聖書には、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝第16章31節)と書いてあることを語り、色々な実例をあげて真の福音を立証したのである。

聖書の預言は必ず成就する事を、預言者も、使徒達もその事を証しているのである。また、(ルカ伝第21章33節)「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。」と、真の救い主である、イエス・キリストが明言されたのである。

また、(ヨハネ伝第4章23〜24節)「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。」とあり。

また、主イエスは、お祈りの事も教えられた。(ヨハネ伝第14章14節)に、「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。」とあります。

真の神を信じる事が、いかに幸いであるか。福音を聞いて、家族と、親戚はみんな、その日集った人々と共に聖霊を受けたのである。
私が生まれ育った地元ですから、私のことを誰もが知っているのである。だれでも「水と霊」とのバプテスマを受けて救われなければならない。この島も例にもれず、病人が多い。持病のある人や、病名不明の慢性病や、急病の人などである。

私より一つ後輩の嫁さんが、腕の関節がひどく痛み、毎日泣き暮らしていたが、私の評判を聞いて頼みにきたのである。家の中に案内されて、病人の所に行って見ると、痛みをこらえて泣いていた。オリーブ油を注いで祈って言った。「イエス・キリストの御名によってこの病、癒されたり」。
病人は泣き止んで、「治った」と言った。「もう何も痛くない」と言って神の力に驚いていた。家族も大いにイエス様に感謝したのである。

奇跡の評判は、部落中にひろまった。
次は一門の長老、島袋家に大勢の人々が押し寄せてきた。真の福音には必ず、確かに、徴(しるし)不思議が伴う。(マルコ伝第16章17節)には、「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、(18)へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害をうけない。病人に手をおけば、いやされる。

(20節)弟子達は出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言葉に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。」と書いてある。この事は確かに主イエスが生き証人である。

また、ある日私が、蔵元家の前を通り過ぎ様とした時、この家のお母さんが、走って来て、「先生、先生、私の息子を助けて下さい」と言って、懇願するのである。請われるままに案内されて、その家に行って見ると、全身硬直状態で、意識も無くその家の次男が、ひん死の状態で寝ていた。

世間ではあの子は助からない、その家から火の玉が墓場に飛んで行った。霊柩車のない田舎では、死者の棺を墓場に運ぶ、地元での通称、宝道具と言うものが、家の庭に既に来ている等と、實に絶望的な様々な噂が流れていた。この島の迷信であるが、私が見ると、病人には悪霊が憑いていた。
悪霊を追い出し、頭に手を置いて祈って、「この病癒(やまいいゆ)べし」と命じて、お祈りを終えた。

お茶が出されて、病にななった過程を聞きながら、お茶を飲んでいると、今まで身動きの出来なかった病人が起き上がったのである。起き上がって首を左右に動かし、手を振り、足を動かし、なんだか自分でも信じられない様子である。
ご両親も驚いて、無理をするな本当に治ったんだと言って、神の権威と力に対して、感嘆したのである。

蔵元家には仏壇が沢山さんある。1番座から2番座まで、づら〜っと並んでいるのである。この家のお婆さんは、久部良部落の巫女(みこ)として、巫女の着物を着て、部落の祭事や行事を司っている方であった。
この家には男の子ばかり、8人も居るのであるが、其の内の次男が、病気を患(わづら)っていたのである。

人々は福音を聞いて、イエス・キリストに対する信仰が本当だと言って、福音を信じたのである。今までの信仰が、如何に無意味なものであったかを悟って、イエス・キリストに対する、信仰に改信したのである。

次の集会は、母の姉が嫁に行った大本家で行なわれた。
隣り近所の人々が集ってきて家一杯になった。話は、八重山で起ったイエス様がなされた多くの御業を証した。
その日集った人々もみんな聖霊を受けた。そして、みんなが洗礼を受ける事を約束して散会したのである。今までに聖霊を受けた人々も大分増えてきたので、洗礼を行なう場所を決めなければならなかった。
初めての洗礼式
初めての洗礼式は、漁船を貸切して、村役場のある祖納村の田原川で洗礼式を行う事になった。
洗礼を受けた人は、20余名であった。
田原川の水は湧水で、付近の田んぼの稲は毎年豊作している。どんなひでりでも変わることなく、水は冷たく、水の量も無限である。

その日洗礼を受けた信者達は、全員船で帰ったが、75歳になるお婆ちゃんが用があると言って、遅れて陸路徒歩で帰る事になった。
しかし、明かりも持たず村を出ると、真っ暗な闇夜を8キロも、徒歩で帰るのである。

お婆ちゃんは、沖縄の方言しかわからない。日本語は一言も解りません。あまりの暗さに、次の様にお祈りしたと言う、「キリストの神様お願いします。年を取って夜道は暗くて、なにも見えません、どうぞ歩く道を照らして下さい」と言ったとたん、大きな明かりが、頭の上から歩く道を照らしたと言うのである。

お婆ちゃんは、「神様おそれています。有難う御座います、有難う御座います。ハレルヤ ハレルヤ」と、お祈りをしながら、8キロもある夜道を歩いて、我が家まで無事に帰ってきたのである。我が家の庭の明かりで、頭の上から照らしていた明かりは消えたと言うのである。キリストの神様は、沖縄の言葉もご存知ですねと、おばあちゃんの信仰は、益々深く強くなったのである。その後キリストの神様は、わたしと一緒の居られると言って、感謝の日々を過ごしているというのである。

おばあちゃんは、心から神を敬い、神を恐れておられた。お婆ちゃんは無学であるが、神様の言葉を書いてある聖書を信じ、この本をわけていただけないか、と言われるので、「どうなさるのですか」、と尋ねると私のお守りですと言って、休む時にも、聖書を頭の上において休み、出かける時は、必ず聖書を持って出かけると言うのである。
イエス様の顯現
お婆ちゃんには今一つの証があります。
お婆ちゃんは、教会ではどう言う事をするのか、見て来ようと言って集会のある日に来て居られた。初めの程は、講壇を見つめていたのですが、暫くすると、顔を伏せたままお辞儀ばかりしているのです。

其の日の説教は、霊界の説教でしたが、講壇では、イエス様が現れて、わたしの影の様に、右に動けば右に、左に動けば左に、手を上げれば、同じ様に手が上がる。神様は、頭からひげまで、着物も真白であった。神様が一体となって、動かしている様で、もう怖くて、恐ろしくて、顔を見る事が出来なかったと話しておられたのである。

このお婆ちゃんは、親戚にあたるかたですが、翌日、御自分が見たことを証する為に、わざわざ母を訪ねて、私の事を、今までは、孫だ子供だと思って居たが、もうすっかり神の人になっておられるんだよ。恐れないといけないよ、敬わないと、いけないよと言って帰られたと、あとで母から聞かされたのである。

お婆ちゃんの家は、久部良中学校の近くにあって、学用品やお菓子などを売って、それを楽しみにしておられた。
この中学校の校長先生は、戦後台湾からの引き上げ者で、現職の仏教の坊さんでもある。この校長先生と部落の二、三の有志達が酒を飲んで、私を迫害しようと計画して、教会の集まりに来たという。
その日は、霊界の話しであったが、全くすきが無い。説教を聞いているうちに、仏教には救いは無いと悟り、本当の救いはキリストの教えにあるのだと言われたのである。

校長先生はざんげして告白された。「私は今日迫害をする為に来たのであるが、先生の説教を聞いて、悔い改めました。仏教には救いはない事を悟りました。私を皆さんの仲間に、入れていただけないでしょうか」と言われるので、私は校長先生に言いました。「校長先生を歓迎します。どうぞ近い内に洗礼を受けて下さい」「はい、有難う御座います」。
一緒に迫害に来た人たちも、校長先生の意外な変り様に言葉もなく、其の夜の集会は終わったのであった。
身代わり洗礼
先に救われていた母の姉が、身代わり洗礼を受けたいと言ってきた。戦争中避難小屋で病死した、当時12歳になる娘の為だと言うのである。
名前は美代子と言ったが、其の日は校長先生も洗礼を受けに来た。洗礼式の前に聖書の説明をして、洗礼式が祝福される様に祈り、先ず校長先生から先に洗礼を施した。

洗足式も終わり、洗礼式の感謝のお祈りを捧げていたとき、叔母が聖霊に満たされて、「我らは勝利、我らは勝利」と叫びながら、正座のままで、何度も、何度も、飛び上がったので、何かあったなと思い、お祈りが終わってから尋ねてみた。
「洗礼式を始めてから、今までに、何か変わった事は無かったですか」と聞くと、普段は無口な叔母が、「はい先生」と手を上げて、黄泉の世界にいる娘が話した事を、説明したのであった。

洗礼式が始まる前に、お祈りをしていると、亡くなった娘が現れて、親不幸な私の為に、神様に執成(とりなし)て下さったこと有難う御座います、と言うそばから、男の年寄りたちが、大勢押し寄せて来て、私はどうするか、私はどうするか、と叫びながら、私の為に神様に執成してくれと、すがる様に頼むのだが、全く知らない人達で、娘の言う事だけを聞いていたが、あれは大元家の先祖達であったと思う。
と言う事であった。
母の身代わり洗礼によって、黄泉の世界から解き放たれて、娘が天に昇って行く姿を、私がはっきり目撃したのである。

まだ救われていない大本家の先祖達は、黄泉の世界で苦しみもだえながら、誰かが早く身代わり洗礼を受けて救ってくれることを、切に願い求めている事を教えられたのである。
娘の身代わり洗礼を通して、黄泉の世界にいる死者の叫びを痛切に感じたのである。
ナーマ浜での洗礼式
久部良部落の南側にある「ナーマ浜」というきれいな浜がある。
其の日多くの人々が、洗礼を受けにきた。亡き父の身代わり洗礼もその時に、母が受けてくれた。この度の与那国訪問は、家族や親戚が全員『水と霊』のバプテスマを受けて、救いに与った事を、イエス様に感謝したのである。
また、その他多くの友人や、知人達が、『水と霊』の救いに与った事は、大きな感謝であった。栄光が主イエスの御名にありますように。
与那国に教会設立
蔵元家が広いので、蔵元家で安息日の礼拝を守る様に教えて、ここを与那国の教会とした。
蔵元加禰兄弟を適任者として、教会の責任者に立てた。
玉城の叔父はモーター付きの舟で、毎日一人で漁に出ているが、『水と霊』の救いに与ってからは、誰も行かない漁場を示されて、そこに行くと不思議に良く漁が出来て、早く帰れると言うのである。

また、蔵元の加禰兄弟は、資産家で田や畑もたくさん持っているが、ある時、与那国に火の様な風が吹いて、田んぼの稲が殆ど全滅状態であった。
その時でも教会の田んぼは、何も損なわれず、通常より豊作で、みんなが不思議がっていたと言うのである。
神は祈りに答えられた
また或る時、蔵元の畑に沢山の鳥が飛来して、畑の作物を食い荒らした事があった。その時、畑で一生懸命異言で祈ったら、翌日から一羽も来なくなったと言う。イエス・キリストは、人の祈りを聞いて下さると、感謝してみんなに証していたのであった。

また、安息日は神と共に休んで、安息日の礼拝を守る様に教えられているが、蔵元兄弟は、安息日に、少し位は良いでしょうと言って、田んぼのあぜに座って、長いさおで、稲の葉虫を払い落としていたが、急に腕が痛くなって、腕が動かなくなった。「神様お許し下さい。教えに背いて少しは、良いでしょうと思い、戒めに背きました」とお詫びしながら痛い腕を抱えたまま、教会に帰って来て、悔い改めのお祈りをしたら、うその様に腕の痛みが癒されたと言うのである。
この様に神様は、与那国にも同じ様に、お祈りに答えて信者達を教育して下さったのである。

また、ある日の午後3時に、石垣に帰る日も近くなったので、日記を書く為に畳の上に、腹ばいになって日記を書いていたら、聖霊に感じて石垣の正木姉妹の家に、姉妹達が集っているのが見えた。

石垣にいた時、与那国伝道が示され、与那国に行く事が決まった。
或る老姉妹が、「私が先生と一緒に行って、与那国の兄弟姉妹に証をしないといけない」と言ったのである。「私が」と言う人は、己に栄光を求める者で、神に栄光を帰さない、その様な人は連れていくわけにはいかないと言って、連れてこなかったのである。

「私が」、と、「私に」、栄光を帰す事は、御言葉を学ぶ者としては、ちょっと、傲慢になっている。それで、連れてこなかったのであるが、それが不満だった様で、日記を書いていると、正木姉妹の家で、その不満をみんなの前で言っている事が見えたのである。話している声も、はっきり聞こえてきたのであった。

与那国伝道も終えて、八重山に帰る日がきた。
与那国に着いた時に、帰る日も御霊に感じて預言していた。
しかし、夜まで天気は荒れていたので、明日の出港は無理かなと思われたが、御霊が語らしめたことは、必ず実現するのである。
朝までには天候はすっかり好転して、船は八重山に向けて、出港する事になったので、大急ぎで出発の準備をして、8キロの道を急いで、何とか間に合ったのであった。

この度の与那国伝道も、多くの奇跡と不思議が行われ、癒される者も多く、『水と霊』の福音が真であることが立証されて、神の栄光が現われ、大感謝の中に石垣の教会に帰任する事が出来たのである。
(第12章聖霊の働きその3)
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