八重山体験記
(三)


沖縄-3より
八重山の教会にもどる
私は任地八重山に戻った。2ヶ月半振りに帰ると、留守中の教会は、迫害のまっただ中にあった。札幌の教会で悪魔を追い出したら、留守中の教会では、サタンの復讐を受けていたのである。

信仰の弱く初信の信者達は、ほとんど散らされて、教会に残った信者は、迫害と戦っていたのである。迫害というのは、或る老姉妹が、サタンに騙(だま)されて、御子を宿したと言って、太陽が上がると、教会の東側の石垣の上に昇って、太陽を拝んでいたと言う。そして、神様が教会に住む様に言われたから、教会でお産をすると言って、教会の中を屏風で仕切って、住んでいたのであるが、私が帰ると、教会から出て行ったのである。

私は、市内の借家を出て、郊外に畑の土地を借りて、沖縄から貰ってきたテントを使って、テントの教会を建てたのである。その年の暮れも押し迫った、大晦日の午前二時までかかって、天幕の会堂を完成して、新年聖会の準備を終えたのである。

初めて天幕教会での伝道をするのである。
新年聖会の準備にお金を全部使いはたして、元日を迎えるのに、お金は何も残っていなかった。
主は、献金箱を見る様に示されたので、献金箱を開けて見ると、献金が捧げられていたのである。

一睡もせず、新年聖会の準備をし、新年聖会は、大感謝、大讃美の中に終えた。新年聖会も、祝福されて、主の御栄光中に、終わる事が出来たのである。
それから、天幕伝道が続いた。
どれ位たったか、崎山兄弟が「先生教会を造りましょう」と言ってきた。私も御霊に感じて、「造りましょう」と答えた。すると、方々から、協力者が起ってきた。

この町には、福音によって、救われた人々が大勢いるのである。
教会を造ると発表したら、すぐに、私は材木を捧げる、私はセメント瓦を捧げると言う人が起こってきた。その他色々と増し加えられた。町の人々はみな、惜しみも無く、喜んで捧げた。

信者達は讃美を歌いながら、教会の地固めをした。大工さん達も、喜んで協力して、教会堂は大スピードで完成したのである。会堂の落成式も、盛大に行われた。兄弟姉妹は、喜びに満ち溢れていた。

新しい会堂で、安息日礼拝が大感謝の中に行われたのである。隣り近所の人達も、救われて、周りに家が増えていった。教会の回りには、新しく家が増えていき、町が出来てきたのである。サタンに散らされた信者達も戻って来た。

また、新しく救われた信者も増えて、会堂に満ち、更に神はしるしと、不思議と、様々な奇跡をもって、教会の回りはにぎやかになっていったのである。
教会堂建設を終えて
毎月日本各地で、大聖会が行われていた。大聖会には、日本の各地から、牧師達や、多くの信者達が参加する。これからは、大聖会に参加して、八重山群島で神が為された、様々な御業を証して、イエス・キリストの御名が崇められ、主の栄光をたたえて行きたいと思う。

会堂が出来て、兄弟姉妹の信仰も定まり、信者の異言の祈りの中から、先生はペテロだ、先生は、ペテロだ、と言う異言のお祈りが、度々出てきたので、村井監督にうかがった事がある。それはどう言う意味ですかとうかがうと、村井監督は、使徒と言う事ですと言われたのである。

その後、自分でも、日本ではせまさを感じていた時、以前から与那国の先輩に、ボルニヨに行かないか、とさそわれていたので、教会の南側の海岸の岩の下で、これから進むべき道を主に祈っている時、身代わり洗礼を受けた亡き父が天から現れて言った。

自分の生れ島に行って、島の人々を救ってほしいと、頼むのである。
私は一瞬、サタンが父の姿を借りて、私を惑わしに来たのかと思い、にらみつけていると、その直後に、イエス様が現われて、そうしなさい、そうして東京に行け、そうしたら、これから、進む道が示されると、言われたのである。
東京-2へ

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