| 東京体験記 (一) |
招聘状東京にある、イエス之御霊教会教団の監督、村井ジュン先生から、正式な招聘状が届いた。招聘状の内容は、西脇先生のご活躍は聞いて感謝している、我々と同じです、一度是非東京に来てくださいということである。
全く考えた事もなかった事であり、東京でイエス様がなされた御業を証し出来ることが、何よりも嬉しく思い、感謝であった。
当時の沖縄は、アメリカ軍の占領下におかれていて、本土に渡る為には、パスポートが必要であった。
八重山教会の兄弟姉妹に、招聘状の報告をして理解を求め、旅の準備をして沖縄本島に渡り、パスポートの申請をした。パスポートが降りるまで那覇に滞在した。そして、パスポートが許可されて、本土への渡航が実現したのである。
那覇の泊港から鹿児島行きの船に乗り、見送りの人々のテープも切れて、船が桟橋を離れて正に出港しようとしていた時である。金城ヨシエ姉妹が電報を持って、駆けつけてきたのである。お母さんが召されましたと言う報告であった。
金城姉妹の実母が、竹富島で一度は召されたが、また生きかえったのを思い出し、竹富島での預言が的中して、主を崇めてお母さんの冥福を祈ったのである。
実はこの家には、長男がどうしても福音に従わず、妹たちの願いも聞き入れず、妹達が悩んでいたのである。
私はお母さんが生き返った時、兄が悔い改めて救われなければ、家の財産をみな食い尽くした後、私が旅に出る時にお母さんは召されると、預言したのである。金城姉妹はご主人が那覇に転勤した為に、那覇にいたのである。
私は沖縄の兄弟姉妹の見送りを受けて、泊港を出港して鹿児島に向けて出航したのである。鹿児島に無事到着船が鹿児島に着いてからは、先ず鹿児島駅に行き、汽車の時間を調べると、汽車の発車時間までは大分間があるので、市内を見物して時間を過ごした。汽車に乗る前に、大牟田に住んでいる叔父に電話を入れて、大牟田駅に出迎えてくれる様に連絡した。
鹿児島駅から夜汽車に乗り、途中、大牟田駅で下車して、出迎えていた叔父に会い、戦後初めて会う祖父や親戚と会って喜びあった。大牟田から汽車を乗り継いで、初めて見る日本の風景を楽しみながら、東京駅に無事到着したのである。
荻窪にある教団本部に到着して、先ずは、村井監督に挨拶、招聘のお礼を申し上げ、神が八重山でなされた様々な証をした。証は約4時間に及んだ。
要点だけを証したのであるが、村井監督は、その間、真剣な顔で、神が為された様々な証を、聖霊に満たされて、顔を真っ赤にして、一言も聞き漏らさず、聞いていた。
村井監督は言われた。自分は牧師の家に生まれて、牧師の家で育って、40年伝道して来たが、西脇先生は、1年半で、これだけの体験をなさった。すべては同じである、と言われたのである。同じであれば、別々に伝道する必要はなく、一緒にやりましょうと申し上げたのである。
それから、4日間の関東大聖会が開かれた。
大聖会は、司会者と説教の御用をする牧師が、二人一組で、持ち時間の約2時間を受け持って、御用をするのである。
関東大聖会には各地から、多くの牧師達や、信者達が参加していた。
大聖会は日本各地で起ったことなどが証された。
会衆は証を聞いて、慰められ、励まされ、信仰が堅くされたのである。
聖会は集団的教育の場であり、全会衆が聖別される時間でもある。
大聖会に来て、信者達の中には、癒されて帰る者もあり、大感謝のうちに大聖会は終った。
引き続き、日本聖書大学院の卒業式があり、新しく牧師となる先生たちの按手礼式と、任命式が行われた。
按手礼は、聖書の命ずるすべての霊典を執り行う「御霊の役者」、「新約の役者」として任命を受けて、各自の新しい任地に赴いて行くのである。