世界伝道への道



大西洋航海より
いよいよブラジルに上陸
チチャレンカ号は、ブラジル、サントス港に無事到着した。
おもい返せば、東京の大聖会で南米に行けと、三日間も同じ時間に、天から神の命を受けて、日本を出発して五十八日間の長い航海を無事に終えたのである。ブラジルに着いてみると、ここは未知の世界である。

上陸するまえに、船の甲板でブラジルの空気を腹一杯吸って上陸した。空気さえあれば、生きていけるのだ。
天を仰ぎ両手を挙げて祈った。これからの一切を神に委ねて、導かれるままに主に従っていくことにした。
私の移民受け入れの手続きをしてくれた、ブラジル側の旅行社の代表者が、面会に来てくれた。無事にブラジルに入国した事を確認するためであった。

アルゼンチンに帰国される方で、航海中何かと世話をしてきた新里のお婆さんや、お孫さんともサントスでお別れである。新里のお婆さんはアルゼンチンにも是非来てくれと言われた。

税関の検査は明日だと言うので、さて、税関の検査までどうしようかと考えていると、新里さんのお婆さんが、サントスに同郷の山内さんがおられるから訪ねたいが、一緒に行きませんか?と言われるので、お伴をすることにした。サントスには沖縄出身者が沢山住んでいると言う。

山内さんは、沖縄県与那原町出身で、ブラジル移民では成功された方である。幾つも事業を経営し、従業員達も沢山使っておられると言う。
新里さんに紹介されたので、私も自己紹介して、ブラジルに来た理由を説明したのである。

山内さんは、「尊いお仕事をなさっておられるんですね、長旅でお疲れでしょう。今日はうちで休まれて、明日税関から荷物を受け取ってこられたらよいでしょう」と言われ、娘さんに「先生のお手伝いをしなさい」と言い付けた。
娘さんは日本語も流暢で、私の通訳をしてくださって助かった。
南米開拓伝道開始
いよいよ南米のブラジルに、真の福音を伝える時がきたのだ。
上陸初日は、山内さんのお嬢さんのお部屋で、休ませてもらった。
久し振りに広いベッドで体を伸ばしてゆっくり休めた。

翌日、税関に荷物を取りに行ったが、税関では通役のお陰も会ってすぐに通関できた。
その日、同じ沖縄出身で、サントスに永住している山城ベーカリを訪ねることにした。山城のお爺さんさんは、沖縄で那覇の家庭裁判所に行った時に偶然お世話をしたご老人であった。そのいきさつを説明すると、こうである。
まだ沖縄に居た時に、用があって那覇の家庭裁判所に行った時のことである。

一人の老人が先に来ておられて、秘書官から、必要な書類の事で怒られていたのである。この老人には子供がなく、沖縄には誰も身寄りがないので、ブラジルにいる甥から、呼び寄せの手紙が来ていた。手紙の内容は、ブラジルの甥が、養子縁組を結んで、老人を永住移民として、ブラジルに呼び寄せたいと言う内容であった。

その手続きのために、沖縄でも一番遠い国頭村から那覇の家庭裁判所に来たと言うのである。当時は道もまだ舗装されておらず、バスに揺られて、曲がりくねった山道を4時間もかかって来たというのである。

ご老人は大変な思いをして那覇までたどりつくのに、書記官はそのつど何度も書類が足りないといっては、書類の請求をするので、見ていて余りにもお気の毒に思い、私は家庭裁判所の事務官をしかった。
「どうして一度に済むように、『必要な書類』をメモしてやれないのか」と言った。

すると、奥の部屋から何か何かと判事が出てきたので、「あなたの言い付けで、この事務官が年寄りをいじめているのか。遠い国頭村から来ているのに、何度も何度も、これが足りない、この書類を持ってこないと出来ないと言って、ご老人をひどく疲れさせているのか?。」

そして、私はご老人に申し上げた。
「お爺さん、私に委任しなさい。ただで、私が必要な手続きを全部して上げます。」
わたしは一切の手続きを引き受けて、裁判所の養子縁組の許可書を取り、役場での戸籍の完成までお手伝いしたのである。
ご老人はめでたくすべての手続き終えて、ブラジル永住のため那覇港を出発したのである。

ご老人は私に、ブラジルに着いたら、必ず山城ベーカリを尋ねてくれるようにと言われたのである。
山城さんは、ブラジル・サントス市で、ベーカリー(パンの製菓)事業を経営して、その営業はサンパウロ市にも拡大発展していると言われる。
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