| 世界伝道体験記 −海外編− |
ブラジルに・真の福音 太平洋、インド洋、大西洋と、58日間の長い航海を終えて、やっと目的地、ブラジルのリオデジャネイロの山々が見えてきた。
リオデジャネイロ港が近づくに従って、かの有名なコルコバードのキリスト像が白い雲の上に見える。まるで『キリストのご再臨を幻想させるような、雲の上に乗ってくる』とある、聖書の教えを思い出した。
最終港サントスに着く前に、リオデジャネイロに荷役の為、寄港した。桟橋に接岸した時、ブラジル伝道の為に、主に祈った。
主の応えは、『もし信じるならば』ただそれだけであった。
そのお言葉の余韻は、実に深く重かった。その意味することは、これから行なわれんとする、神の様々な可能性を示唆するものである。
『もし信じるならば』、と言われる主にすべてを委ねて、主の御心のままに、真の福音を宣べ伝える決意を新たにしたのである。
チチャレンカ号が桟橋に接岸すると、乗客は街見物に出ていった。郷里訪問を終えてブラジルに帰国する、同船の大城さんに、コーヒーを飲みに行こうと誘われたので一緒に出かけた。
初めて飲む本場ブラジルのコーヒーは、水は一切使わず、豆をひいて、蒸気だけでしぼり出し、小さなコップに砂糖をたっぷり入れて、飲むのだが、口の中一杯に広がり、舌もとろけるようなコーヒーの美味は、長い間忘れられなかった。
リオデジャネイロには、2泊3日の滞在であったが、翌日はキリスト像のある山に登った。そこから見渡す、リオデジャネイロの景色は実に絶景であった。
ブラジル移民を乗せたチチャレンカ号は、本航海最後の目的地、サントス港に向けて、リオデジャネイロを出港したのである。
愈々ブラジルに上陸だ。チチャレンカ号は、サントス港の桟橋に無事接岸した。
船の甲板に上がって、ブラジルの空気を腹一杯すった。誰も知らない、行くあてもなかったが、これさえあれば、生きていけるのである。
私に面会だと言うので、出て見ると、ブラジル永住手続きをしてくれた、旅行社の村井さんが、私のブラジル入国確認の為に、面会に来たのであった。そして私の無事を確認して帰られた。
税関の検査は、明日になったので、桟橋に降りて立っていると、アルゼンチンに再渡航で帰られる新里のおばさんが、「これからどこに行かれますか?」と聞くので、「どこもありません。」と答えると、「サントスに同郷の人が居るので、尋ねようと思いますが、一緒に行きませんか?」と言われるので、お供する事にした。
新里のおばさんは、12歳になる女のお孫さんを連れて、郷里の沖縄を訪問して、アルゼンチンに帰るところであった。航海中の船内または、寄港地での上陸のときに、観光や買い物などをお手伝いして来たのであった。
新里さんは、沖縄の与那原町の出身で、これから訪問する山内さんと言う方は、移民の大成功者で、いくつも事業を経営して、従業員も沢山いるそうである。
新里さんに紹介されたので、私も自己紹介をして、ブラジルに来た理由を申し上げると、「尊いお仕事をしておられるのですね、長旅でお疲れでしょう、今日は家で休まれて、明日税関検査を終えて、お荷物を取りに行かれたらよいでしょう」と言われて、娘さんに、私の手伝いをするように言い付けられた。
山内さんのお言葉にしたがって、その晩は娘さんの広いベッドで、体を伸ばして休ませてもらった。娘さんは日本語が流暢で、税関では、私の通訳をしてくれて、税関の検査も、助けて下さった。
税関の検査を終えて、荷物を一時預かり所に預けると、山内さんのお嬢さんに山城ベーカリーに連れて行ってもらった。
お爺さんから沖縄での話は聞いておられたのか、養子縁組をした甥の山城さんは待っていましたよと、私を歓迎してくれた。そしてお爺さんとも再会を喜びあったのだった。
話に聞いていたとおり、山城ベーカリーは大々的に営業を展開していて、サンパウロ市にも販路を広げていた。
話がはずみ、時間が遅くなったので、その日は山城さん宅に泊めてもらった。
この家の奥さんから、先生の教会はどういう教会ですか?と聞かれ、私は日本の各地と沖縄の島々で、神がなされた御業を証したのである。
こんなすばらしい話を自分たちだけで聞くのはもったいない、親戚の人々にも聞かせたいと言われて、改めて集会をもつことにした。
親戚のみなさんも、真の福音を聞いて、今も病人を癒して様々な奇跡を行い、救いの御業を行なわれるイエス・キリストの御名を崇めて、信じたのである。
翌日は山城社長と一緒に、預けて置いた荷物を受け取りに行った。山城社長は先生の道が決まるまで家に泊まって下さいと言われた。お言葉にしたがってそうさせてもらう事にした。
次の日は、親戚の叔父さんたちが、話を聞きに集まってこられたので、私は事実にもとづいて色々と証をしたのである。
私は、人から派遣されたのではなく、1956年5月、東京で午後2時から開かれた大聖会中に、数千人が『異言』でお祈りをしているその時、最初はリバイバル聖歌の51番の曲が、天から聞こえてきた。その歌詞は次のとおりである。
『こうりの閉す地、真砂の焼くる地、宣教師たちは、苦しみ、疫病(えやみ)を恐れず行くなり。』
この曲が流れた時、雷の様な声で、『南米に行け』と、3日間も同じ時間に、天から命じられる神の声を聞いたのである。
それで日本人の多いブラジルに来た事を語り、聖書に基づいて、イエス・キリストが為されたこと、御業を証した。また、私自身が体験したことなどを証して、ブラジルで証しするのは、今日が初めてですと語ったのであった。親戚のおじさんたちは、大きく息を呑んで、こんな話は聞いたことがないと、大いに感激して、喜ばれたのである。
こうして、ブラジルでの伝道第一声は、イエス・キリストから託された『真の福音』を伝える事が出来たのである。
翌日は、サンパウロに行ってみたいと話したら、山城社長自ら、サンパウロ行きのバス乗り場まで、自家用車でつれていって下さったのである。