| 世界伝道体験記 −海外編− |
マットグロッソ州への導き 市内で沖縄移民を受け入れて開拓事業をしている、G氏という人がいる事を知り、訪ねた。
この人は沖縄県与那原町の出身で、熱心な仏教の信仰者である。教育にも熱心なジェントルマンで、長男は、大学を出てサンパウロ市で銀行の頭取をやっているという有能な人材である。
神を信じる事では共通点がある。聖書の話しをしても興味を示される方で、親しくさせてもらった。何時訪ねても、喜んで迎えて下さった。移民団を迎えて移住地に護送 ある日、G氏から相談があると言われて訪ねたところ、今度サントスに沖縄からの移民団が着くので、一緒に出迎えて、移住地まで同行してもらえないかと頼まれた。
移民の入植地はアマゾンの上流で、マットグロッソ州の主都クヤバー市から、更にジャングルの奥地、カッペン開拓移住である。
アマゾンの上流と聞いて、私も興味があった。
新しい開拓伝道のチャンスかも知れない。一緒に移民団を出迎えて、何等かの役割があるかも知れないと思い、移民の人達に会ってみると、生まれて3ヶ月になる乳飲み子から、老人もおられた。
サントスを出発した汽車はサンパウロ州の野原を走った。途中、汽車が停止すると、男子は一列に並んで立ち小便。女性達は草むらの中に"かくれんぼう"である。しばらく休んで、汽車はまた走り出した。
奥地の大きな川辺まで走って来て、列車が止まった。
川をハシケで渡って、人も荷物もトラックに積み替えられて、長い時間掛かって、マットグロッソ州の、カンポグランデ市に到着したのであった。
カンポグランデ市には、沖縄県出身者が経営する民宿があり、ここで数日休養を取った。そして、飛行機で主都クヤバー市に飛んで、そこで、開拓地に必要な資材や食料などを買い込み、多くの荷物をトラック数台に積み込んで、開拓地を目指して出発した。
移民団の引越し荷物をトラックに積んで、開拓地に行くのであるが、数時間ごとに売店で休憩を取り、買い物をしたりした。
ある売店のそばには、大きなマンゴーの木があって、熟したマンゴーが地面に落ちると、放し飼いをしている豚が、落ちたマンゴーを目掛けて走って来るのである。
移民の若い人達が、豚に負けじと、落ちたマンゴーを取り合って、走りまわって大笑いさせられた。
また、原野を走る野生のダチョウが、トラックと競争して走り出したりして、疲れも忘れさせる楽しい旅でもあった。
また、大きな川に直面するが、大きなハシケが備えられているので、移民団はみんなで協力しあって、ハシケに荷物を積みかえて、トラックも一緒に川を渡る。川を渡ると、また、トラックに荷物を積み、ジャングルの中をゆっくりと走って、通りぬける。しばらく走るとまた木の橋に直面する。その繰り返しあった。
ジャングルの木の橋は長い間、誰も通った事がないのか、渡ろうとすると腐っていて、荷物を積んだトラックは、小川に落ちてしまうのである。
移民の人達は川に落ちたトラックの荷物を降ろして、みんなでトラックをかついで川から上げて、新たに橋を造り、トラックの荷物を降ろしたり、また荷物をトラックに積んだりして大変な行程である。
新しい橋を造るのは、現地まで送ってくれた車が、帰りに困らない様に配慮した作業であった。
移民の人達は歓声を上げ、拍手してその労をねぎらった。
途中には10名で抱くような、大木なども多く見られたり、一難去ってまた一難と、万難を排して、新天地の開拓の夢を抱いて、此処まで走りつづけて、ようやく目的地のカッペン開拓地にたどり着いたのである。
先輩たちが切り開いたジャングルには、仮小屋が用意されていた。移民の人達は解散して、割り当てられた家族単位の小屋で、休むことになったのである。
みんな疲れきって休んだその夜、移民の赤ちゃんが破傷風で熱を出し、目も白くて、引き付けを起こしているから、早く来てほしいと、助けを求められたのである。助けるすべも無い、ジャングル開拓地に着いた夜に起った重大事件である。
私は赤ちゃんに手を置いて祈り、イエス・キリストの御名によって、この病、癒(ゆ)べし、と命じたのである。すると、赤ちゃんのひきつけは止み、熱も引き、目も正常な状態に戻って、完全に癒されたのである。
ここはアマゾンの上流地点で、シングー川の水源地で、きれいな川が流れていた。気候も年平均25度という大変温暖な土地である。
此処に黒ダイヤと言われる、ピメンタ(こしょう)を栽培する計画である。
移民の皆さんが落ち着かれた後、カッペン植民地から、更に40キロ奥地に行ったところに、松原植民地があると言うので訪ねていった。
植民地の皆さんはとても歓迎してくださった。一泊して皆さんに福音を伝え、最近の日本の実情などについて語り、移住地の皆さんを激励したのである。
宗教家がここまで尋ねて来た事は初めてで、大変心強いお話を感謝します、と喜んで下ったのである。
松原植民地の入植者は40家族であった。此処の入植者は、昔に移民して来られた人たちばかりで、自給自足のできる家族であった。
再びカッペン植民地に戻って、みんなの無事を確認すると、私は、移民団の荷物を積んで現地まで運んできた、ブラジル人運転手のトラックに便乗して、首都クヤバー市に戻る事にした。
戻る途中の川のそばには、インディアンたちが住んでいた。日も暮れてきたので、その日はそこで休むことにして、インディアン達に頼んで泊めて貰う事になった。インディアン達の親切 休む部屋もないジャグルで、インディアン達の中で寝ると言う事は、何時襲われるかも分からず、不安であったが、誤解されると何をされるかわからない。にこやかに笑って親しみを表わし、友達ですという理解を求める事が大切である。それが一番友好的な方法であると考えた。
夕食の時、彼らが炊いたおかゆを食べなさいと言うので、笑って見ていると、自分も笑って食べて見せた。毒は入っていないと言う意味であろうか。
私が木の枝を折って箸を作って食べだすと、インディアン達もまねして、木の枝を折って箸を造って食べだすのだが、中々うまくいかない様で、大笑いしながら、一所懸命食べようとしているのであった。
インディアン達は、旅人である私達に自分の寝るブランコを、ゆずってくれた。
インディアン達は、夜通し寝ないで、何やら話しあっていたので、不安でもあったが、心のなかで祈りながら、一切を主に委ねて、休ませてもらったのであった。
朝になって、私達はインディアン達にお礼を言って、トラックは、首都クヤバー市を目指して、ジャングルや、原野を縫う様に走って帰ったのである。
町に着いてから、通訳を通して、インディアンたちは夜通し何を話していたのかと、聞いてみると、私は14人殺したとか、私は12人殺したとか、夜通し自分達の自慢話をしていたと聞かされたのである。私達には親切にしてくれたのが、不思議であった。首都クヤバー市に戻った 長いジャングルの旅を終えて、首都クヤバー市に帰ってきた。
クヤバーは暑い所で、この街の人達は、12時から14時までは、店を閉めて昼寝をするという。その理由を聞くと、暑いので朝は早くから店を開けて、昼は休み、夜は遅くまで店を開けて働いているのだという。
マットグロッソ州のクヤバー市には、南米大陸の中心を示す標識があると聞いて見に行ったが、そこに立って見て、南米大陸の広大さに圧倒されたのである。