| 世界伝道体験記 −海外編− |
第二回目の洗礼式 その日は某教団のK牧師も、奥さんと末のお子さんを連れて来ていた。
わたしは洗礼式の意義を説明するために、以下(ロマ書第6章の1節〜11節)の御言葉に基づいて、説明したのである。
(4節)すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、私たちもまた、新しい命に生きるためである。
(5節)もし私たちが、彼に結びついてその死の様にもひとしくなるならば、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
(6節)私たちは、この事を知っている。私たちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
(7節)それは、すでに死んだ者が、罪から解放されているからである。
(8節)もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
(9節)キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。
洗礼式は聖書の通り、行われたのである。
洗礼を受ける人は数名であったが、胃下垂が癒された福島県出身の女性は、2番目に洗礼を受けた。まず、洗礼式が祝福されます様にと祈り、イエス・キリストの御名によって、バプテスマを施すと宣言した。全身を「水の中」に沈めてバプテスマを施し、最後に祝福を祈って洗礼を終えると、「もういいですよ」と女性に言ったが、女性は動かなかった。
見ると息をしていなかったのである。水の中に沈もうとするので、よく見たら死んでいたのである。
40分は過ぎていたか、何も示されない。水の中にいるのが余り長いので、皆が動揺し出したために、私は天を仰ぎ主に祈った。
すると神は「水の中から引き上げなさい」と言われるので、水から引き上げて川の土手までかかえて行ったのである。死んでいるから、死体が転がった。それを見てみんなおそれ逃げ出したのである。
騒ぐなといって、頭に手を置いて、イエス様に祈って言った。
「もう一度この姉妹に命を与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお願いします。」
と言ったとたん、大きな息をして、生き返ったのである。
立てなかったので、もう一度祈って、頭に手を置いて、「力を与えて下さい」と祈ると、直ぐに立ち上がったのである。そして、「上にあがって休みなさい」と言って休ませたのである。
「次の方、いらっしゃい」と言うと、こわがって中々来ようとはしなかったが、「どうもないから来なさい」、と言って残りの方達も、主イエス・キリストの御名によって、バプテスマを授けたのである。そうして、洗礼式を終えると、洗足式を行い、すべての儀式を終えたのである。
生き返った女性に聞いてみると、この女性は水の中に入ったあとのことは、何も覚えていないと言う。土手に上げられて気が付いた時は、何故自分は此処にいるのかと思い、よく考えて見ると自分は、洗礼を受けに来たことを、思い出したという。
私は、お祈りによって死んだ命がよみがえるという、このような奇跡を何度も体験してきたのである。
参照:(使徒行第9章36節〜43節)(同20章7節〜12節)(マルコ伝第11章20節〜24節)