| 世界伝道体験記 −海外編− |
サンパウロ州の奥地で開拓伝道 ある日、主の導きを求めて祈った。イエス様は大城さんの住む奥地の町を示されたのである。
大城さんは、チチャレンカ号で一緒にブラジルに渡った方で、必ず訪ねて来るようにと言っていた事を思い出して、サンパウロ駅に行ってプレシデンテ・プルデンテ行きの汽車の時間を調べて、汽車に乗った。プレシデンテ・プルデンテは、サンパウロ州で一番奥地の町である。
その当時のブラジルの汽車は板の椅子で、長い時間座っていると、お尻や腰が痛くなって、何度も席を立ったり、車内を歩きまわったりして、時間を過ごした。旅のつれづれにいつも携帯していた、尺八を取り出して吹いていると、ブラジル人たちが集まってきて、見せてくれと言うので見せると、めずらしそうに、何度も何度ものぞいてみて、不思議そうに何か言って笑っていた。
大城さんのいるプレシデンテ・プルデンテの町に到着した。
汽車を降りると、タクシーを拾って、大城さんの住所を示して、ここに行ってくれと頼んだ。
大城さんは留守で、フェラーと言う露天市場に行ったと言うので、訪ねて行った。大城さんは、よく訪ねて来てくれたといって、大変喜んでくれたのである。
大城さんがおられるプレシデンテ・プルデンテは、人口10万余の町である。この町には、多くの日本人が住んでいる。大城さんの案内で、毎日の様に沖縄出身の先輩達を表敬訪問して回った。
ブラジルの勝ち組と負け組
戦後、ブラジルには、「日本は勝った」と言う人達と、「日本は負けた」と言う人達の争いがあり、過激な人達は殺人を犯すほどの大論争が起ったと言う。
プレシデンテ・プルデンテも例にもれず、日本国領事館派遣の公使が来ても、その結果は何時も喧嘩別れで、誰が来ても解決する事は出来なかった。
その為に嫁に行った娘も引き離されたり、様々な事件が起こっていたと言う。
大城さんは、日本は勝ったと言う、勝ち組の方であった。そこで沖縄県出身の先輩達から仲裁してくれと頼まれたのである。勝ち組、負け組と言われる方々にお集まり願って、私を議長席に座らせて、先生宜しくお願いしますと言われたのである。
日本からきたばかりの私が、もっともこの解決をするのに適任者であると言うのであった。しかも宣教師でもあり、みんな安心して話を聞くことができる。
勝ち組、負け組と言われる方々は、お互いに解かってはいるが、長年の意地の張り合いで、許しあえないでいた。
日本はやっと終戦を迎える事が出来たが、どのように言えば、お互いに傷がつかないで、円満な解決が出来るのか、私は心の中で祈った。
「私は日本から来たばかりで、ブラジルの事は何も分かりません。
聞く所によると、先の世界大戦のことで、戦後ブラジルでは、色々なことがあったと聞いています。
私は、はっきり言いますが、戦争はこれ以上続ける事は、為にならないと考えて、天皇陛下は、終戦を宣言されたのです。戦争は勝ったのでも、負けたのでもなく、戦争は止めたのです。」と言った途端、勝ち組も負け組も一言もなく、みんなが立ち上がって、抱き合って泣いて喜びあったのであった。
そして、思い思いの体験を語り合って、場内の雰囲気は一変してしまった。
私は、なお言葉を続けて語った。
「『団結すれば立つが、分裂すれば、倒れる』という言葉の通り、団結すれば一年後には、会館も立ちますよ」と言って、激励したのである。
本当に一年後には一軒家を買い取って、会館として使用する事になった。会館の祝賀会には私も招待された。
会長さんからは、「先生には感謝状を差し上げなければならない。誰も解決出来なかった事を、見事に解決されたのだから」と、感謝の言葉をいただいたのであった。その後は、色々な催しなどが、会館で行なわれる様になったのである。
。