世界伝道体験記
−海外編−

占い師の言葉
サンパウロ市に教会を建設
主イエスは言われた。
(マルコ伝第16章15節)「全世界に出て言って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。(16節)信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。(17節)信じる者には、このようなしるしが伴う。
すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、(新しい言葉を語りとは聖霊を受けて異言を語るという意味)(18節)へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。

教会建設の基礎は、人が福音を信じて、救われることである。
生ける神の教会には、下記の様に、しるし、と不思議が伴い、悪霊は追い出され、病人に手を置けば、いやされる。神の教会は、当然のように、人の救いを基礎として、築き上げられていくのである。

また、
(エペソ書5章23節)「聖書が教える真の教会は、キリストの体であり、体の頭(かしら)は、キリストである、と教えている。この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。」
(コロサイ書第1章18節)「そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。と記されているのである。」

また、(エペソ書第3章2節〜6節)に、使徒パウロは、このように、書いている。
「わたしがあなたがたのために神から賜った恵みの務めについて、あなたがたはたしかに聞いたであろう。
(3節)すなわち、すでに簡単にかきおくったように、わたしは啓示によって奥義をしらされたのである。
(4節)あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
(5節)この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
(6節)それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、『共に一つのからだ』となり、共に約束にあずかる者となることである。」
使徒パウロは、これは、奥義であると証言している。

(エペソ書第5章23節)「キリストが教会の頭(かしら)であって、自らは、からだなる教会の救い主であられる。(29節)キリストが教会になさったようにして、おのえを育て養うのが常である。
(30節)わたしたちは、キリストのからだの肢体(したい)なのである。
(32節)この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。」

(ロマ書第12章4節〜5節)「なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、(5節)わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。」

(コリント前書12節〜27節)「からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
(13節)なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷(どれい)も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊をのんだからである。
(14節)実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。(15節)もし足が、わたしは手ではないから、からだに属しないと言って、それで、からだに属しないわけではない。
(16節)また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
(17節)もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
(18節)そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
(19節)もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
(20節)ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
(21節)目は手にむかって、「おまえはいらない」と言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
(22節)そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
(23節)からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。
麗(うるわ)しくない部分はいっそう麗しくするが、(24節)麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。
(25節)それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互いにいたわり合うためなのである。
(26節)もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
(27節)あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。"ひとりびとり"は信者を差すのである。
(28節)そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語るものをおかれた。
(29節)みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行うものだろうか。
(30節)みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くものだろうか。
(31節)だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。」

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。(使徒行伝第16章31節)
聖書はこのように教えているのである。

(ヨハネ伝第3章5節)「だれでも『水と霊』とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。」

イエス・キリストの使徒たちは、聖霊が降ったその日に、にイエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるであろう。(使徒行伝第2章38節参照。)

(39節)「この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。


サンパウロ市は、ブラジルの主要都市である。サンパウロ市には、『水と霊』のバプテスマを受けて救われた人たちが、100名以上はいる。
この人々も、キリストの体の肢体であり、様々な病気や事情などから、救われた人達である。この信者達は、キリストの体なる教会に属する、まことの信者たちである。

私は引き続き、サンパウロの信者の教化育成のため、聖書の福音を語り、信者達を激励したのである。
これまでに、個人や各家庭を訪問して、色々な相談に応じ、病気を癒したり、悪霊を追い出し、福音を伝えてきたのである。
このまちでも、多くの人々が救われた事を、イエス様に感謝したのである。
アルゼンチンに行け
カンポグランデ市の伝道中に神は、アルゼンチンに行く様に示された。
私は日本から呼び寄せたS牧師に、留守中の教会とブラジルの信者達を委ねたのである。
アルゼンチンに行く、日本からの移民船を待って、アルゼンチンに渡る準備をした。

アルゼンチン伝道へ

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