世界伝道体験記
−海外編−

サンパウロ市に教会を建設より
アルゼンチン伝道-1
1958年頃は、南米への移民が盛んな時代だった。当時の南米航路は、ブラジル丸とアルゼンチナ丸に、オランダ船籍のチチャレンカ号などが、太平洋、インド洋、大西洋を走って、南米ブラジル、アルゼンチンまで、航海をして移民をはこんでいたのである。私は、チチャレンカ号で、ブラジルにわたった。

ブラジル伝道2年が過ぎた頃、カンポグランデ伝道中に神はアルゼンチン伝道を命じられた。私は、マットグロッソ州の、カンポグランデ教会の兄弟姉妹方には、神がアルゼンチン伝道を示された事を伝えた。牧師の留守中は、教会の安息日礼拝を守る様に指導して、留守中の責任者を任命し、アルゼンチン伝道の為に祈る様に頼んだ。

それから、サンパウロ州の、プレシデンテ・プルデンテの教会に戻って、教会の兄弟姉妹にも、神がアルゼンチン伝道を命じられた事を話し、留守中の教会の事を頼み、留守中も、安息日の礼拝を守る様に教え、留守中の責任者を任命して、みんなが心を一つにして、教会を守る様に指導した。

今度アルゼンチンに行く船便は、ブラジル丸である事が分かった。
私はサンパウロ市に出て、サンパウロ市に有る、教会の兄弟姉妹にも、同じようにアルゼンチン伝道の事を伝えて、留守中の指導を行ない、礼拝の司会者を任命した。

近日中に、ブラジル丸がサントス港に、入港する事が分かったので、サントス市に移動したて、ブラジル丸で、アルゼンチンに渡ることにした。
サントスでは、サンパウロ市の教会の、兄弟姉妹や、S牧師達が、見送った。下さった。留守中のすべての、御用をS牧師に一任したのである。

主に従うことは、実に楽しく、心踊り、聖霊の力が満ちてくるのである。
アルゼンチン航路の途中には、日本移民の集団地、パラガイ国と言う国があり、パラガイにも、客と荷物を降ろすために寄港した。
数時間ではあったが、パラガイの街を見学することが出来て楽しかった。

アルゼンチンの伝道は、南米に行けと命じられた神様の御心であり、この福音は、全世界に伝えられなければならない。
これは我等の使命であり、日本から、アルゼンチンは、地球のまる反対にある。新天地で活躍している、アルゼンチン在住の同胞を救へと言う、神様のご意志である事を確信した。
アルゼンチンに水と霊の真の福音
ブラジルのサントスを出港した、ブラジル丸は、数日後には、アルゼンチンのブエノス・アイレス港に無事到着した。
沖縄から、ブラジルまでの長い航海中、お世話をしてきた、孫娘を連れたSお婆さんと、サントスで別れる時、アルゼンチンにも必ずきなさいよと言われた。
アルゼンチンに来たら、必ず連絡しなさいと、電話番号をもらっていた。

私は上陸して、先ず、ホテルの部屋を取って、旅装を解いた。ホテルで一泊して、Sお婆さんにアルゼンチンに来たことを知らせると、大変喜んでくださった。必ずホテルに行くから、待っているようにと言われたのである。

Sお婆さんは、家族や友人達と揃って、ホテルに迎えに来てくださった。
まず、2年ぶりの再会を喜び合うと、ホテルはチェクアウトするように言われ、ご自分は、郊外にお住まいなので、市内の娘の家に案内してくれた。

かねて、申し合わせていたのか、そこに宿泊する様にと言われたので、お言葉に従うことにした。Sお婆さんの娘さんのご主人は、愛娘が沖縄からの長い航海中、なにかと世話になったという事で、喜んで私を自宅に迎えて下った。

ご主人のNさんは、私のために一部屋を提供して下さった。沖縄を初めて訪問したお孫さんも、元気で再会を喜んでくれた。
アルゼンチンは、日本人移民の中で沖縄県出身者が多数を占めている。

私は、ブエノス・アイレスを中心に、伝道活動を開始することにした。
アルゼンチンには、二つの日系新聞社がある。先輩方の案内で、新聞社を訪ねて、日系社会に挨拶を終えた。

また、沖縄県人連合会の会長を訪問して挨拶をした。会長さんは、法曹界からアルゼンチンに来たのは、あなたが初めてですと言われた。会長さんは、講演を要望されたので、県人連合会会館での講演会が決まった。
新聞に広告したので、話を聞きに沢山の方が集まってきた。

講演は自己紹介で始まり、私がアルゼンチンに来るまでの経緯や、日本では北海道から、日本列島、最西端の与那国島まで、6年間の開拓巡回伝道を行ったことを証した。その後、イエス様が示された事を行なった後、東京に行く様に導かれた。神の指示に従って上京した。関東大聖会は一日に、三回行なわれるが、第二回聖会の同じ時間に、南米に行けと命じられた。三日間も同じ時間に、三回同じ命令を受けて、南米に渡ったことを話したのである。

南米では、日本人移民が多いブラジル伝道を最初に開始する事にしたのである。マットグロッソ州の、アマゾンの上流から、サンパウロまで、開拓伝道をしたことが色々な体験になった。【世界伝道の体験談は、国内編、海外編、ブラジルをご覧下さい】

アルゼンチンの講演の後、ある新聞は講演会の感想を、超人的活躍などと、書いていた。

その講演のあと、先輩の案内で、アルゼンチンの北部にある、コルドバの他2箇所で講演をした。コルドバの講演が終わったあと、私の歓迎会がおこなわれた。その中で病人がいると言うので、そこから、病人を見舞い、神癒祈祷を行なった。そのあと、家族に福音を語って、イエス様を信じる様に勧めた。

ブエノス・アイレスの、Nさん宅に帰ると、知り合いが強盗に殺されたとの事で、依頼を受けて、そのお通夜から告別式までをおこなった。
400余の会葬者があったが全会衆、こんな厳粛な告列式は、今まで経験が無いと言われた。

そのあと、沖縄出身の父親が、「てんかん病」で苦しんでいる17歳の息子をつれて来た。話を聞くと、癒されたいと願って、アルゼンチン中の病院や、祈祷師などにすがって、全財産を使い果たすまで、散々苦労したという。時には1日に17、8回も、「てんかん」ひきつけを起こすことがあったという。

気分のよい時は、公園のベンチに座って、同年代の若い男女が、仲良く散歩している姿を見ると、なぜ僕だけが、こんなに病気で苦しまなければならないのかと泣いて、訴える時も多かったと言う。

長年、"てんかんの霊"に、苦しめられてきたと話していた。本当に可哀想な親子である。
私は父親に、ある体験談を話した。
ブラジルにも同じような、女の子がいた。年は18歳であった。この家には3名も悪い霊に憑かれた人が居て、家の中は暗く全家族が、長年苦しめられていた。

『洗礼と聖霊』を受けて、救われて、今は癒されて家族皆が、感謝しているという体験を語って聞かせたら、自分達も、『洗礼と聖霊』を受けたいと言われるので、この親子も「水と霊」のバプテスマを受けて救われたのである。
その後は「てんかん」病に苦しむ事は無くなったのである。

息子は元気になり、大変明るくなって、喜んでいた。そのあと、家の清めと祝福のお祈りを依頼されて、その家を訪問する事になった。行って見ると、お母さんが出てこられた。お母さんは、スペイン系のアルゼンチン生まれの女性である。

玄関の向かいには、カトリック教会のマリアの像や、色々な神様が祭られていた。家と屋敷の清めのお祈りが終わると、「てんかん」病から癒された息子が、先生は私と一緒に寝てはくれないかと、言うのでお父さんは、私に是非息子の願いを聞いて下さいと頼んできた。

その真剣な姿を見て、その夜はその子と同じベッドで休むことにした。
夜半を過ぎた頃、悪魔サタンが、姿はベットの影に隠れて、手だけを伸ばして、私の口を押さえようとしていた。悪魔が一番恐れるのは、異言である。

私がどんなに、疲れて熟睡していても、悪霊が近づいてくると、聖霊は異言で悪霊をしかって退けるのである。
私は何度か聖霊に助けられた事があった。聖霊は、助け主として神から使わされた真理の御霊である。その夜も異言で追い出した。

また、ある女性からの相談では、沖縄にいるユタ(霊媒者)に、先祖の供養をしないと、子孫に不幸な事が起ると言われた、と言って沖縄の親戚から、手紙が来ていたが、本当に娘が自殺してしまった。その家族が心を痛めて悲しんでいる。どうしたらよいのか、と言う話だった。

私は、この世の因果応報の悪魔サタンの支配から救い出されて、真の神の国に入るように勧めた。そのためには、『水と霊』のバプテスマを受けて、救われるように勧めると、受けたいと言うので、『水と霊』の救いについて聖書の教えを説明した。

この勧めで全家族が、信じてバプテスマを受けて、真の救いに入られたのである。みんなの顔から憂いが去り、明るい笑顔に変って、救いの喜びと平安に満たされたのであった。

その後、親戚の方々や、同郷の人たちが、話を聞いて集まって来られた。
私は、沖縄のユタ、霊媒者の話に惑わされず、神の国の福音を信じて、『水と霊』との全き救いを受けるように勧めた。

(コリント後章第6章1節〜2節)わたしたちは、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救いの日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。

また、救い主であるイエス・キリストの言葉は、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。(16節)信じてバプテスマを受ける者は、救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。

(17節)信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、(18ヘビをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害をうけない。病人に手をおけば、いやされる)。(マルコ伝第16章15節〜18節)と記されてある。

その後、この方たちの、同郷の指導的立場にある方の勧めもあって、色々な病を患っている人達の全員が、『水と霊』とのバプテスマを受けて、全き救いに入られたのである。

アルゼンチンは、南米のパリであると言われている程、花作りが盛んで、造花は使わず、生きた花だけを用いる所で、花作り農家と、クリーニング業が多かった。農業の花造りは、じつに大々的で、各業者が育てた花をトラックに積んで、市場に売りに行くのである。

私も、一度市場を見に連れて行って貰った事がある。市場の中に入ると、花の香りが市場の中一杯に満ちていた。
アルゼンチン移民のみなさんは、豊かな生活をしておられた。私は、農業経営者のグループの所に、招かれて福音を語った。

私は、神の祝福について語り、神の祝福には二通りの祝福がある。その一つは、産業の祝福であり、もう一つは、健康の祝福である。
"祝福だにあらば足れリ"と言う御言葉がある。人間は健康であり、経営している事業が繁栄しておれば幸いである。

私は、会衆の健康と、産業の祝福を祈った。
その日集まった皆さんも、心を合わせて、一緒に祈った。
そのお祈りが神に応えられて、本当にそのあとから、各家庭の事業や生活が、祝福されて、花の売れ行きや、花作りの事業も盛んになり、恵まれたと言う、
もっぱらの評判であった。

わたしは、滞在期限が切れるので、お世話になった方々や信者達の各家庭をまわり、挨拶を済ませて、ブラジルに帰るアルゼンチナ丸に便乗した。
アルゼンチンの兄弟姉妹方の見送りを受けて、信者達には、また来る事を約束し、第一回目のアルゼンチン伝道も、神の祝福と恵みのうちに終了した。

ブラジル-2

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