世界伝道体験記
−海外編−

第二次ブラジル伝道より
第二次アルゼンチン伝道

今度の旅は、アルゼンチンまでの航海中は、祈りの旅になった。
再びアルゼンチンに導かれた理由は、アルゼンチンにお嫁に行った、ある姉妹が少々精神的に異常をきたし、夫の了解なしに無断でブラジルの実家に帰って来てしまった事で。まだ悪霊の働きもあり、家族にも当たりちらしたりして、問題をおこすので、家族も早くアルゼンチンに、帰った方が良いと説得した。

家族が、この姉妹に、「先生にお願いして、お祈りしてもらいなさい」と勧めると、姉妹が「お願いします」と言うので、私は、「イエス様に病気をなおして下さいと、お祈りしましょう。イエス・キリストの御名によってお祈りします」、と宣言して、悪霊を追い出し、姉妹は癒されたのである。

姉妹が、先生と一緒にアルゼンチンに帰りたいと言っている。
それで家族のみんなが懇願するのである、兄弟姉妹達の依頼をうけて、再びアルゼンチンに行く事になった。

移民船はブラジルのサントス港に寄港する、日本からの積荷と客を降ろすし、ブラジルからの荷物と乗客を乗せて、アルゼンチンに出港するのである。

次の便船を待ちながら、日本から呼び寄せた、S牧師とも連絡を取り、留守中の教会の牧会伝道を依頼して、アルゼンチン伝道の準備をした。
数日後に姉妹が早くアルゼンチンに、帰りたいと言っていると言うので、
この姉妹の家族も、姉妹の旅支度に忙しくさせられていた。

アルゼンチナ丸が、寄港することがわかり、この船に便乗することになった。サンパウロの兄弟姉妹の見送りを受けて、サントス港を出港したのである。

姉妹は、まだ少し不安定な所も見受けられるので、気をつけて見守ってやらなければならない。アルゼンチンに無事に着いて、ご主人に引き渡さないと、わたしの使命は終わらない。
航海中も目が離せず、大海原の旅を楽しんでいる余裕はなかった。

航海も終わり、船から上陸すると、姉妹のご主人や、親戚の方たちが迎えに来ていた。
出迎えのご主人とも握手して、奥さんを引き渡す事ができて、姉妹の護衛の旅が無事に終了し、イエス様に心から感謝したのである。

ご夫妻が住んでいる町は、首都のブエノス・アイレスから西南の方に、大分離れた所にである。
しばらく経ってから、ご夫妻を訪ねてみたら、ご夫妻が、明るく元気に頑張っている姿を見て、安心したのである。

アルゼンチン滞在中の連絡場所としては、首都のブエノス・アイレスの方が便利で良いと言う事で、夫妻の親戚の新垣さん宅を、滞在中の連絡場所にしてもらった。

新垣さんの奥さんに、先生の教会はどう言う教会ですか?と聞かれたので、私は、沖縄や、日本本土で、神がなされた様々な御業を証した。
途中で、ちょっと失礼します、と奥さんが中座して、どこかに電話をしている様子だった。

急に態度が変わったので、何かあったなあぁと思ったが、その夜はそのまま休んだ。
あくる朝、新垣家の家族の態度が変わり、使用中のソファーを新しく取り替えたり、言葉使いも改まって、昨日までとは違っていた。

家族がこぞって、畏敬的(いけいてき)な態度に変ったのである。
私は、奥さんに何かありましたか?と尋ねてみた。
しばらく前に、アルゼンチンの有名な、千里眼と言う占い師の所を訪ねた時、あなたの家に強い光を持った、徳の高い、えらい人が来て泊まる。

その人は、アルゼンチンの多くの人を救って下さる方です。その方を大事にしなさいと、言われた事を思い出して、もしかしたら・・・と、千里眼のところに、電話を掛けた所、私は、まだ何も話さないのに、占い師は、私が前に話した人が、今あなたの家に来ている、と言ったので、びっくりして、本当ですかと確かめたが、間違いないと言うので、礼を言ってすぐ、電話を切ったと言うのである。

以前、ブラジルでも、千里眼と言われる、占い師が、同じ様な事を言った事があったが、私は、占い師にはその様に見えたのかと思った。
奥さんの電話活動は止むことはなく、友達や、知り合いの皆さんに、伝えいるようであった。

日系の邦字新聞の社長の娘さんとも親しくしていて、電話を掛けると、今から直ぐ行くと、言ったそうである。
もう夜も遅く、明日にしてはと思ったが、来られると言うので待つ事にした。

社長のお嬢さんに、色々と家の事情を伺うと、社長の奥さんが霊に憑かれて、夜も寝ないで、数ヶ月にもなると言う。
今から家に来てほしいと言うので、今日はおそいから明日にしたらどうかと、言ったのだが、父が待っているからと言うのである。

マルティーネス市に移る

マルティーネスの町に着いた時は、夜半を過ぎていたが、社長は待っておられた。
詳しいお話を聞くと、社長の奥さんが霊につかれて、夜も寝ないで家の廊下を行ったり来たりして、夜通し廊下を掃除して歩くので、社長の仕事に、色々と支障をきたしていると言うのである。

アルゼンチンと、日本とは12時間の時差がある。
社長は、NHKの正午の放送を聞いて、毎晩12時になると、明朝の新聞に載せる記事を書いている。
しかし、奥さんが夜通し、バケツとモップをもって、廊下を行ったり来たりして掃除をするので、うるさくて、仕事のジャマになると言うのである。

社長がうるさいと叱(しかる)と、わたしがいると、迷惑をかけるから自分は死んだ方がいいと言って、裏庭のミカンの木に、首をつって死ぬと、騒ぐのである。
病院に入れる事もできないし、大変困っていた。

色々と事情を伺った上で、家族みんな、応接間に集まってもらった。
お母さんもお呼びして、家族がそろった所で、私は、沖縄での伝道体験談を、お母さんにも聞かせる様に、遠まわしに、悪霊の働きについて、証したのである。

1時間程話しをしたか、お母さんが、大きなアクビをしだした。その時悪霊はお母さんから、出て行ったのである。
霊の支配から完全に開放されると、長い間、夜も寝なかったと言う奥さんが、先生、眠くなったので、失礼しますと言って、寝室に行かれた。

家族の皆さんに、お母さんに働いていた悪霊は、退散しました。お母さんが起きるまで、静かに休ませて上げて下さい。目が覚めた時には、さっぱりした気分になっているでしょう。自分のした事は何も、覚えていないでしょう。誰も何も言わないように、知らんふりしてくださいね、お母さんの心も落ちついてくるでしょう。と言った。

家族はみんな、安心したのか、大変喜んだのである。
無口な社長が口を開いた。
先生はブラジルに帰えられても、同じ様な事をなさるんでしょう。と言うので、はい、そうですと答えると、アルゼンチンにも色々なことで、多勢の人が悩んだり、苦しんでいます。
神様はアルゼンチンの人々も同じ様に救って下さるでしょう。
先生の滞在の延期手続きは、私達がやりますから、私の家に滞在して、是非多くの人々を救ってやって下さい。と言うのである。

私はその時、イエス様は、アルゼンチン伝道を、導いておられる事を確信した。そして、社長は、私の滞在を、翌日の新聞に広告して下さったのである。

新聞を見た人達が、電話の問い合わせで、忙しくなった。
マルティネスは、比較的裕福な人達が多く住んでいる。私が滞在している家が、新聞社の社長宅だと言うので、反響は大きい。

電話の問い合わせは、圧倒的に、病気の癒しが多い。悪霊に憑かれてどうしたらよいか分からず、悩んでいる家族や、また、何処からも電話はかかっていないのに、私を殺しに来ると、電話が掛かってきた。といって大騒ぎして、家族を巻き込んで、何も出来ないで困っている家族もあった。

悪霊を追い出したり、病人の癒しの為に、神癒祈祷をして、病魔と闘かい、病気が癒やされると、共に喜んだりの毎日だった。
あるときは、戦後沖縄から呼び寄せた青年が、悪霊に憑かれて、狂ってしまったそうで、時々急にいなくなるので、家族総出で、捜しまわった。
どうしても見つからない時もあった。しかし、本人は公園のベンチで横になって寝ているのに、目の前にいるのに、誰も見つける事が出来なかったという。
これは悪霊が見つからないように、人の目をさえぎるので、誰の目にも見えないのである。

この青年の悪霊を追い出して、「水と霊」とのバプテスマを授けると、完全に癒されたのである。安心したのか、青年の顔にもやっと笑みがもどり、元気になって、みんな喜んでいた。

この家の次男で、もう一人いるというので、何処にいるのか?と聞くと、病院にいれてあると言う。同じ家で、二人も悪霊に憑かれて、家族に心配と苦労を掛けていたのである。

以前に交通事故で死んだ片足の無い人が、時々現れて、家の廊下を歩いているのを、少女が何度も、見ていたという。
この死人は、生前、仕事の休みの日には、よくこの家に遊びに来ていたという。

私は、次男の奥さんに病院に案内させた。病院に行って見ると、次男は、病院の廊下を行ったり、来たりして、落ち着かないようである。私は、廊下で捕まえて、悪霊を追い出して、即日病院を退院させて、つれて帰ったのである。

次男は、普段はおとなしい人だが、悪霊に憑かれて狂暴になり、家族にも危害を加えかねないので、警察と相談して、精神病院に入れてあった。
時々は、面会に行くけど、家族の名前も全くわからなくなっていた。すべての記憶を失っているのである。

自宅に連れてかえっても、落ち着かないようであったが、バプテスマ(洗礼)を受けさせると、だんだんに落ち着いて、少しずつ記憶がもどり、家の手伝いもする様になった。
癒された事を、ご両親も、また、兄ご夫妻も、子どもたちも、大変喜んで、感謝していたのである。
また、ある家庭では長い屋敷の中庭を、死んだ人の亡霊が、行ったり、来たりしていると言うのである。その為か、長女が弱く、何時も病気がちで、長い間仕事も出来ない状態で、見るからに体もやせ細っていた。

この家庭は、母がスペイン系の女性で、父は沖縄からの移民である。四人家族で主都から大分離れた町に住んでいる。妹は小学校の先生をしているが、
家族が全員で、相談に来たのである。

この家族は全員「水と霊」とのバブテスマを受けて、救われた。
問題の亡霊の為にも、病気がちの長女に、身代わりの洗礼を受けさせた。
死者のために、身代わりの洗礼を受けたら、亡霊は全く出なくなり、長女の病気も癒されて、その後は元気に、仕事も出来る様になった。
そのあと、わたしも招かれて、家の祝福をお祈りした。
この家族は、その後は恵まれ祝福されて、すべての事が最善に導かれていると報告があった。

死者のためには、身代わりの、洗礼を受けてあげる事が、死者の罪はゆるされて、黄泉(よみ)の世界から、天のパラダイスに移される。亡霊騒ぎやその様な問題は起こらくなるのである。

また、ある家では、奥さんが、悪霊に憑かれて、電話は誰からも掛っていないのに、今、私を殺しに来るという電話が掛かって来たと言って、大騒ぎをして、家族を悩ませていた。
その家族の依頼を受けて、家を清めて祝福を祈り、家族みんなも、聖霊と、洗礼を受ける様に勧めた。

日曜日には、遠い所からも、多勢の信者が集まってきて、全員がその日に洗礼(バプテスマ)を受けるのである。

ピクニックに行く様な気持ちで、家族や個人や、日本人と結婚したスペイン系の白人女姓達など、みんなが楽しんでバプテスマを受けて、洗足式を済ませると、聖霊を待望して、全員が「水と霊」のバプテスマを受けて、全ての儀式を終わるのである。

洗礼と聖霊を受けた全員が、イエス様の御名を崇めて、讃美を捧げ、頌栄(しょうえい)を合唱し、祝祷を持って、すべての儀式を終わると、後はバーべキュー大会である。みんな最高に歓び楽しみ、全たき救いを、祈念するにふさわしい、感謝な一日であった。

洗礼式の場所は、町の郊外を流れる広い、川で行なわれた。

新聞社の社長の次男A兄弟は、クリーニング店を経営しているが、沖縄で教員をしていたという女性をお嫁さんに呼び寄せたそうです。
今は、1男1女のお子さんがある。A兄弟は、クリーニング店の営業がおわると、依頼のあった家の家庭集会に道案内をしてくれた。
家庭集会は、夕食を済ませてから行なわれるので、祝福祭や伝道集会が終わるまでには、夜半を過ぎる時が普通である。

「各家庭の事情は色々と異なりますが、しかし、先生はどこの家に行っても、初めて行く家なのに、大分前から良く知っていた様な話しをされるので不思議に思っている。一度お聞きしたいと思っていたのですが、なぜ分かるんですか?教えて下さい」と、A兄弟は私の顔をみて、不思議そうに言われた。

「兄弟、わたしはその家に、初めて行くのですから、何も知らないですよ。
それは聖霊が語っているのであって、わたしも語り乍ら、教えられているのです。初めての家に入ると、その家族が、初めて会ったような気持ちはしないのです。すべてが何となく、前から知っていたように、聖霊が感じさせて、導いて下さるのです」。

家庭集会や、家の祝福祭を行なう事は、わたしも、その家の事を覚えてお祈りしますが、大事なことは、神様に知られ、愛されたという事が、何よりも幸いなことです。
毎回その家に道案内して下さるA兄弟も、いつも新しいことを教えられて、「先生と一緒に、家庭集会に行く事が楽しみです」と言われた。

家庭集会では、その家庭が中心になりますから、家族は当然の事ながら、健康の祝福を求める。
聖書の言葉は、(ヨハネの第3の手紙)では、

(2節)愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべての事に恵まれ、またすこやかであるようにと、祈っている。

(使徒行伝第16章31節)に、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救くわれます」。(32節)それから、彼とその家族一同とに、神の言を語ってきかせた。(33節)彼は真夜中にもかかわらず、その場で自分も家族も、一人残らずバプテスマを受け、神を信じるものとなったことを、全家族と共に心から喜んだ。

と教えているのである。

聖書の、(エペソ書第1章13節〜14節)あなたがたの救の福音を聞き、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。

(14節)この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

この様に教えているのです。

聖霊を受けるためには、声を出して、ハレルヤを繰り返します。
「ハレルヤ、ハレルヤ」と聖霊を求めて祈り続けていると、聖霊が降ります。
ハレルヤと言う言葉は、天の世界で大群衆が御座に居ます神をほめたたえている言葉であって、(ヨハネの黙示録第19章1節〜6節)。に書いてある。

「ハレルヤ」、救いと栄光と力とは、われらの神のものであり、(2節)そのさばきは、真実で正しい。(3節)再び声があって、「ハレルヤ」、と言った。
(4節)すると、二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座にいます神を拝して言った、「アァメン、ハレルヤ」。

(5節)その時、御座から声が出て言った、「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、共に、われらの神をさんびせよ」。
(6節)わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、激しい雷鳴のような者を聞いた。それはこう言った、「」ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。

このように、ハレルヤは、天界で神を礼拝し、また褒め称えている、群衆の言葉である。我等もまた、同じように、「ハレルヤハレルヤ」と神を褒め称えて、聖霊を与えて下さいと、心の中で求めながら、ハレルヤと祈り続けましょう。

(参考)聖霊が降ると、(使徒行伝第2章2節〜4節)の様に、異言を語らしめられます。異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
(コリント前書第14章2節)それは、神の国の奥義であって、誰にも分からない、とあります。

(使徒行伝第2章4節)エルサレムには、17カ国の人々が滞在していたが、ガリラヤ人達が、聖霊に満たされて、17カ国の人々の生まれ故郷の言葉を語り出したので、みんな驚き、惑ったと言った。

語っている人たちは、自分たちが何を語っているかは、全く分からない言葉であった。語っている者は分からないが、聞いた人々は、自分の生まれ故郷の言葉を、語ったから驚いたのである。

また、聖霊を受けると、様々な病気が癒される。
聖霊を受けてからは、聖霊の導きがあるので、聖霊に従うのが最善です。
(ロマ書第8章26節)御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にもあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

(ロマ書第8章26節)また、(27節)人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

聖霊を受けると、人は神の実子となるから、性格まで変えられる場合がある。また、どんな重病でも完全に、癒される奇跡も起こる。
聖霊を受けて、すべてが祝福されるので、すべて聖霊の働きに委ねよう。

(ヨハネ伝第14章16節〜17節)わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。(17節)それは真理の御霊である。

神は善にして、善を成したもう。また、折りに叶う、助けを与える。信じる者は幸わいなり、と教えているのである。

(参考)(ヨハネ伝第3章1節)パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。(2節)この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできません」。

(3節)イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。
(4節)ニコデモは言った、「人は年をとってから生まれることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」。
(5節)イエスは答えられた。だれでも、「水と霊」とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。

これは、人の子から、神の子に生まれ変れる事を、証明しているのです。

(マルコ伝第16章15節)「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。(16節)信じてバプテスマを受ける者は救われる。
しかし、不信仰の者は罪に定められる。

(17節)信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、(18節)へびをつかむであろう。
また、毒を飲んでも、決して害をうけない。病人に手おけば、いやされる」。
などである。

(参照)(ペテロの手紙第3章10節)には、しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

(11節)このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、(12節)極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。

その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。(13節)しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ちのぞんでいる。(14節)愛する者たちよ。それだから、この日をまっているあなたがたは、しみもなく、きずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。

さらにまた、
(ヨハネの黙示録第21章1節)わたしはまた、新しい天と、新らしい地とをみた。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。(ヨハネの黙示録第21章4節)と。

聖書は、この様に人生観、宇宙観を明確に教えているのである。
「水と霊」による救い以外では、(ヨハネの黙示録第21章)の新天新地に入る道は、無い事を教えられるのである。神はひとりの滅びることも、好まれない、悔い改めて救われることを、求めておられる。

私は、開拓伝道の知恵として、礼拝や集会で用いる讃美歌を、大きな紙に書いて教え、説教などは、毎回録音テープに残して、不在中は、それを繰り返し聞いて、学ぶ様に指導している。
私の滞在期間も迫り、ブラジルにもどる時が来た。留守中は、安息日礼拝を守る様に、責任者を立てて、礼拝の司会をさせる事にした。

滞在期限が切れて、ブラジルに帰る船便も決まり、この度は、ブラジル丸が、タイミングよく、数日後に出港した。
帰る船旅もまた楽しみである。

大海原の景色も格別であるが、時々は、カモメが舞い、飛び魚が雄大に飛び交う。また、イルカがブラジル丸とのレース(競走)など、また、大波小波は、船を縦に、横に、揺り動かして、船と波が一体となって、何か社交ダンスでも踊っているかの様に、感じるのである。
また、(ヨハネの黙示録第22章16節)に、「わたしイエスは、輝く明の明星である」と言われた。

夜の航海は、南十字星を初め、満天の星を眺めて、月も星もその使命を果たして輝いている。大海原でなければ、見られない楽しい光景である。

大海原の航海は、色々な演出などを楽しみながら、ブラジル丸は、無事サントス港に入港し、接岸したのである。
これで、第二次アルゼンチン伝道旅行は終了した。忙しく愉しかった日々が、良き思い出となった。


第3次ブラジル上陸へ

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