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アフリカ最後の目的地ケープタウン
ケープタウンは、日本人が希望峰と命名したと言われたほど南アフリカ最後の良港である。チチャレンカ号は、ケープタウンに一週間も停泊して、多くの荷役をした。
街の風景も港も、国際化発展した近代都市である。私はカメラと三脚を持って上陸した。
最初に会った黒人の子供達と三脚を使って記念撮影をし、一人の子供を抱き上げて、四人一緒に記念写真を撮っていた。
すると、頭の上から声がしたので、上を見あげると、三名の若い黒人男女が立っていた。撮影を終えて、私が山に登ろうとしたら、そこからは登れない、あそこから登ってきなさいと言うのである。
悪い感じはしなかったので、その指示どおりに登って行った。
私は、山の上から港や街を撮影しようと思ったのである。彼らに近寄ると、意外にも自分達の家に行かないかと私を誘ってくれた。
人種差別のひどいアフリカで、黒人の子供を抱いて、一緒に写真を撮ったりして、楽しくやっている私を見て、彼らは心に何か感じたのだろう。
私は南アフリカで、民間に招待されるとは夢にも思わなかったのである。
色々とケープタウンの話を聞きたいと思い、折角の誘いなので「OK」したのである。彼らの家はすぐ下で、山を降りて家に着くと、お母さんが出てこられた。
子供たちが紹介すると、お母さんは良く来られたと歓迎して下さった。勧められるままに家に入ると、意外にも家の中には日本の女優や俳優達のポスターが何枚もはられてあった。
このポスターはどうしましたかと聞くと、マグロ船の船員達から貰ったとのことであった。日本の遠洋漁業も、南アフリカまで来ている事がわかったのである。
お母さんがコーヒーを出して下さった。テーブルを囲んで会話が続き、楽しい時を過すことができたのである。私は返礼に、船に行かないかと誘ったら、行くと言うので兄弟達三名と共にチチャレンカ号に案内したのである。
しばらく私のアルバム見せたり、船内で記念撮影をしたりして、楽しい時間を過す事が出来て幸いであった。
三名の兄弟姉妹は夕方になって、家に帰って行ったのである。
ケープタウンの滞在、二日目は乗客達と街の観光に出掛けた。ケープタウンは、ヨーロッパや、アメリカなどから観光客が大勢来ていた。ケープタウン街は、
近代化発展している街であった。
荷物を積みおろしする作業員たちは、アフリカの黒人達であったが、ジャングルの中で、鳥や獣の鳴き声が多くきこえるので、あの声は何の声かと聞くと、それは作業員達がお互いに、泣き声で通じ合うので、その暗号で話しあっているのですよと聞いて、人間の言葉を必要としない、動物の鳴き声だけで通じ合うと言うのは、さすがアフリカだと感心したのである。
ケープタウンの滞在中、街の観光には時間の許す限り出掛けた。
チチャレンカ号は、一週間の長い滞在を終えて、大西洋10日間の長い航海へと出発したのであった。